別府 beppu(19)2009
昨日
最低音の弦を太いコルダに張り替えてみると
低音を出すことは耳と皮膚のあいだにある行いのような感じがして
そのあいだにある何かが違った感触とともに
疲れて力の抜けた身体にむかって落ちていった
この数ヶ月のあいだのこと
冬の晴れた夜空から舞い落ちる淡雪
満開の桜とどんどんと散る花びらをみたら
儚さの芯にある固い何かが
身体の隅々まで粉々になって浸透し
言葉と音の手前に身体が触れて
音も言葉も発することができなかった
嘘めいた音と言葉をふり払うように
たいそう絵をみてから
新潟に良寛を旅し高揚した心に
今度は不意に低音の雨が降って
暑さがいっとき和らいだ
うちそとに何かがうごめいているその場に
掛け軸を掛けかえてきたにすぎないが
掛け軸を掛けることによって
消息という言葉に私自身がたどりついた
消息は散逸的で儚く弱々しいが
消息は射程が広く
消息は静寂のなかに動き
消息は生死という切実をかけている
だが消息そのものに
この身体はたどりついてはいない
いつもの反復とずれだが
振幅はいつもより広い
そして不意に落ちる雨音の
たたきつける低音はいつも清々しく
一つの契機を導いているようだ
音も言葉もない何かの生ずる手前にあるうごめくもの
あのすぐ近くにあってすぐに過ぎ去っていくものたちを
耳と皮膚のあいだに聴いていくなら
たどりつくことのないかもしれない
その岸辺はほのかにみえてくるだろうか
岸の形を朧げみえるようにするために
消息を音に掛けたらよいのか
音を消息に掛けたらよいのか
弾く音は
存在の手前
消息
の震えか
別府 beppu(18)2009
新潟から帰ってきた。骨休めの観光旅行も兼ねてではあったが、大型連休なのに人はあんまりいなかったし、 有意義な時間を過ごすことができた。良寛に始まって良寛に終わったのであるが、ある衝撃的なものをみたという感動よりも、新潟という場所がひたひたと身体に迫ってきて、初めてニューヨークでジャズを聴いた時のように、越後で良寛の遺墨やいたるところにある良寛の銅像や石碑と対面してきた。 良寛の過ごした庵を何カ所かまわってみて、生誕地と墓地もたずねた。 事前の資料だけからは身体で感ずることのできないようなことが腑に落ちるような瞬間がときどきやってきた。何よりも観光という面を差し引いても、良寛がいかに慕われているかがわかる。出生地の出雲崎の宿では江戸時代から何とか続いているという宿の主人にお話をおききすることができた。もうかなりのお年だが、素朴で寛大ないいご主人であったし、越後の魚の刺身に酒はやはり最高だった。
良寛、そしてまた良寛と思っていたこの私の側にもそれなりの理由があるようだ。私の母方の祖父は酒好きで、私も幼い頃は群馬県の前橋の利根川沿いの実家によく行っては祖父の詩吟をビール片手に聴かされていた。その祖父が亡くなる直前だったそうだが、良寛の詩で詩吟をずいぶんとうたっていたときいた。詩吟をしながら良寛はよい、よい、と言っていたそうで、東京の父方の祖父は売れない絵描きで書道もよくしていたから、良寛の資料はないかと前橋の祖父が東京の祖父に時々尋ねていたそうである。
良寛の遺墨がそのまま載せてある資料本のうち最も上等な類いのものを奮発してネット購入したのだが、検索して最も安かった古本屋が思いがけずも、何の因果か前橋の実家から数百メートルしか離れていない古本屋だった。その話を少し興奮しながら母にしたところ、 良寛をうたう祖父の話をそのとき初めてきいて驚いた。私の幼少時の身体はこのようなことをどこかで記憶していたに相違あるまい。そんなことを思いながら新潟へ行った。
数カ所にある良寛関係の資料館の方に、良寛について個人的に話をきくことができた。絶版で高くて手に入りにくかった定本良寛全集も在庫が奇跡的にあって購入することができてとてもうれしかった。特に第三巻には書簡が中心におさめられていて良寛の日常の資料となる。良寛を主題に扱った本はこれまでにあまりにも多くある。おそらく数百冊もあるだろうが、なかでもこの定本良寛全集は残された良寛による統一された内容として信頼がおけると思っていた。
さしあたり書いておきたいと思うのは、当たり前のことであるが、描かれた歴史は歴史のごく一部であって、歴史を考える際に今が常に問われているということだろう。良寛にしても、清らかな心の象徴のように言われるが、実際は当時の状況は惨憺たるもので泥のなか過酷な生活を強いられ、どろどろとした話ばかりで、いわゆる身売りに出される子供たちも非常に多かったということである。こうしたことはなかなか今では良寛のイメージを壊すということもあって公にしにくいこともあるようだが、いずれにしても実際の良寛が生きた世界は、現在つくられている安易なイメージとは本当にほど遠いと、少なくとも少し考えてみれば想像してみることはできる。
貞心尼との晩年の話も世間に有名であるが、実際会ったのはたった三回のみで、そんな情事などあるはずもないし、良寛を後に伝える大変貴重な資料を貞心尼が残していることにむしろ敬意を払うべきである。 ここにも前橋出身の僧が大きく関わっている。また良寛は多くの医者との深い付き合いがあることも知った。庵であくまでも座禅修行をし、托鉢をしながら七十四歳まで当時生きたことを考えるとうなずける。酒や煙草もよくやったらしい。また、いわゆる奇行も多くみられたというが、この点に関しては良寛の生き方と関わる問題だろうし、深い感覚的考察を要するだろう。
良寛の生い立ちやその環境のことからこれまた言い出したらきりがないが、あまりの不条理と周囲の惨状が背景にあり、座禅に没頭しながら托鉢を行い、托鉢をしたのちにそうした状況下の子供やその家族にそれらを与え、書が有名になればそうした人助けの目的で書くという行為を良寛は繰り返していたにちがいない。良寛を慕う心の振幅とその増幅はこうしたところにあるということについては、大方の見方に私も賛同したい。
実際の良寛の書をみているといかにもひきこまれる。だが、良寛にとって特にその晩年の書は書ということからも、もはや離れていたに違いない。そこにこそ形があるように思える。非常に驚いたのは良寛の兄弟、父である以南ともども本当に筆がうまい。このなかでも良寛は極めて独自の形態に至ったということはできる。だが書を相当量研究し勉強したうえに素質が備わっていたにも拘らず、書が良寛の人生にとって実は決して唯一のものとしてあったわけではないという印象を今回の旅では強く感じた。書は究め続けたに違いないが、良寛にとって他の多くの諸問題が現実的に根深く横たわっていたこと、それ故に僧としての道をも捨てながらも座禅というものをし続け、問い続けることが不可欠であったこと、それらすべてが書に反映していて、その書に書には収まりきらない数多くの問いが生まれる背景をなしていると感じられる。
良寛の生きた頃の越後の写真があったらさぞかし興味深いだろうと思うが、何かを感じ考えるための手がかりとして確実なのは、それでも残されたその書であるだろう。当時から贋作が多いというが、贋作も人をだます目的のもの以外に、いわゆる臨書が含まれていて、相当筆の立つ人が良寛へ敬意を払って書いたものでは、確たる落款のない良寛の真偽はわかりにくいだろうし、贋作であってもそうでなくともこうした事態が生じていること自体が私には興味深い。絵描きが書に魅せられるときに良寛を臨書することが多いとの分析もあるがそうだからといって特に不思議はないし、それを良寛が嫌うかといったらそうではないだろう。ついでに、良寛の書を「善書」と名付けた魯山人さえも一度贋作を所有したということらしいが、そうだからといって魯山人の眼力を傷つけるものでもない。魯山人は非常に謙虚に良寛のことについてふれていて「善書」といういい方は興味深い。
良寛を顕彰するにしても、良寛以外のものを一言で排除するような力が働くようではいけないだろう。良寛の良寛たる骨にある生き方がまずあってのことでなければならないし、言葉の表現の一部、しかも字面の印象のみを押し出すかのように、あたかも一部の日本的精神なるものの象徴のように使用すれば真逆の印象になってしまう。歴史ということも今を生きる人間によって作り変えられていくという面を考えれば、やはり今を生きるわれわれがどう生きるかということが問われていることを肝に銘じなければいけない。写真や音楽についても全く同じことだと思う。
私は良寛はかなり庵で静かに自然の音を聴いていたように思うし、良寛は眼というより耳や皮膚の人だと思うから、そうした書と良寛の感覚したことをどう捉えるかは、やはりその書をみて、そこに含まれる良寛の時空に自らが入り込み、さらに音をそこに感じるということから始めなければならない。やっと入り口に立つことができたような思いだが、これについても書きたいことはおそらくたくさんありすぎて、私なりに勝手に分析していってみてもいくら時間があっても足りない。多くの言葉から入るのであれば、最終的にはその本質が少ない言葉で浮かび上がるようでなければいけないだろう。そうしているうちに新鮮な記憶も薄れていくのだろうが、そのときはまた越後を訪れればよい。今回の訪問で良寛の人となりが少し深く想像できるようになった。
別府 beppu(17)2009
明日から仕事を終えたら新潟へ旅。結局今年始めに考えていたように良寛を巡ってくるつもりだ。良寛さんの書いた真筆に出会えるのは最大の楽しみだ。良寛がいかにして親しまれていたかを知る手がかりが得られるか、それも楽しみの一つである。
ここ数ヶ月で強烈に影響を受けた人々すなわち、芳年ー国芳ー岸駒ー老鉄ー梅逸ー等伯ー若沖ー良寛、彼らを鑑賞するだけでなく、残されたものに自分がくいこんでいかなければやはり面白くない。帰ってきたらまずは大雑把に彼らの手法を少しずつ見直してみるべきだろう。各々がかなりちがっているが、どうも本質的な何かがそこに見え隠れしているように思えてならない。特に全体の構成と細部の表現、大胆な空間配置によるリズム感に注意を払わなくてはいけないと今は思っている。
それならば一度、私を度外視して分析的態度をとるべきである。感覚を直接表現するやり方もあろうが、それによってこぼれおちるものもあるだろう。感覚とはまた瞬時のものこそ瑞々しいから別個のところで、つまり自然なるものとして、身体なるものとして鍛えなければならない。聴覚も視覚もその一部であるから互いに通じ合うのではないか。
一方で分析といっても言葉が肉体的感覚を通らなければおそらく何者の形にもならない。身体とは私の内部と外部ということからさらに外にあるものであり、言い方を変えれば存在そのものといってもいいかもしれない。そうであれば分析とは存在を通じた言葉でなければならない。私はこのような分析的態度を医学の臨床においても好んで使っているように思う。これらは音楽と写真を続けていることによって支えられているし、一方で医学が音楽に寄与する側面としては、生死や人間についての直接的で感覚的態度が日常的に瞬間瞬間にとれるということである。例えば貝原益軒の養生訓を読めばその日常に即した感覚と分析的かつ実証的態度は手に取るように伝わってくる。
話がそれたが、分析的態度による形の成熟、および感覚の鋭敏さを研澄ませる身体としての日常的態度の成熟、それらはいずれも外から内への動きである。他者がいなければ私もいないし、自然という事態がなければ身体もないということに通ずるかもしれない。若沖や良寛も遠く中国の偉人たちに学び、このような動きを加速させていったように思われる。私も彼らに倣いたいと思うのだが、どうだろうか。
別府 beppu(16)2009
重い腰を上げて、どうしても行きたいと思っていた静岡県立美術館で開催中の伊藤若冲展を観にいった。以前京都で若沖の名を広く知らしめた没後200年展が開催されたが、このときは忙しすぎて時間がどうしてもとれなかった。従って今回初めてまとまったものを観たのだが、 平日の夕方ですいていて、閉館10分前には家族3人だけであの「樹花鳥獣図屏風」の前にいた。強烈な音を感じる絵だ。この経験は私にとってまずは文字通り筆舌に尽くしがたい。換言すれば書くべき感動が多すぎる。
誰かが指摘していたが、奇想であるとか異端であるとかは全く当てはまらない。絵の王道といえる。そのようなことは私のようなものがみてもわかることだ。あらかじめ解釈をもって接するのはその本質を穿つことに陥りやすい。すべてにおいてこのことは言える。解釈は一つの捉え方に過ぎない。この絵師をあたかも独特な領域に仕立てて孤立させるような言葉の表現のなかにくくってはいけない。そして江戸の中期から後期の画壇は尋常ではない活力に満ちていたことは容易に想像がつくし、当時の日常的な人々の寛容で潔い生き方には敬意を抱かざるを得ない。若沖の絵は彼らの生きた時代の集大成だろう。
あえて少し、つたない言葉で私の感動を記録しておくならば、中期から晩年に至る時期の絵が、今の私にとって最も感銘深い。いかに若沖が確固たる自信を確立していったか、その過程に大きく惹かれる。再び生きる力がみなぎってくる。墨絵と彩色が微妙に混合している絵はおそろしいほど迫力がある。少なくとも技巧は彼の中でも完璧と自負しえたに違いない。こうでなければならないという確信に満ちている。なかでも「仙人掌群鶏図」は圧巻の一言である。自我の追求と外部への洞察が合一し普遍へと切り結ぶ瞬間がみえる。普遍という錐体が若沖という個よって切断された平面。実際は四角い画面だがその空間が時間を混じて楕円形のように圧縮された時空。ダリから時間の概念的解釈を奪い取ったようなまさしく「絵の自然」がそこに存在している。
この時期の画家はみな自我が強いように思われるが、現在における自意識とは異なる。近現代の自他の関係性に縛られたような複雑な仮面的意識はみられないかわりに、自我が自我においてそのまま深く突き抜けていくその場所に自然な誇張が生まれ、誇張が誇張を超えて真実に迫る。このようにして至ったと思われる最晩年の絵はあまりにも斬新で面白くて仕方がない。これはまさしく「軽み」というもので表現される何かということになるのだろうか、と身体で想像しながらみていた。 隠遁生活と意欲に満ちた創造性の起源が成熟し至るもの。 しかしそんなところでとまってしまって、本当のところそうした軽みなど今の私にはわかりはしない。また出会うことのできる機会がくることを願う。
絵をみるということもまた音を聴くということとに大きく通じている。若沖の鶏の絵の反復と差異は一つの曲を何度も弾くということに通じ、色の濃淡やにじみは音色の微妙な変化に、筆の使い方は弓の導き方にやはり通じる。私にとって今、絵をみることは演奏することの手本となっているように感じられて、全体のイメージと細かな筆触は最も遠くて近い楽譜にさえ映る。鑑賞者としては実際の感触その手触りや耳元の音の肌触り、摩擦と抵抗、人間の内部の新たなる動きを喚起する残像と残響、そうした瞬時の感動をいかに鮮度を保ちつつ生に定着させるかということが、昨今の生活の随所で気にかかっているようだ。
そうしたことを一つ一つ書けば全くもってきりがないのであるが、若沖の自然への慈愛、絵を通じた世界に対する態度のあり方、その大きさを現在の自分を過不足なくぶつけて体感し、当時の世間というものの時空をじっくりと想像してみることが、とりもなおさず今を生きなおすための契機となるだろう。様々なことがあるが、どんなことでもこのように豊かな経験は心と身体にゆとりをもたらす。
別府 beppu(15)2009
家路の車のなかでふと思い出したから何か書いてみる。そんな気安い書き方を少ししていこうかと思う。これならちょっとした心の余裕と時間さえあれば何とかできるかもしれない。エリック・ドルフィーが「音は消える、二度とつかまえることはできない」とあるライブ録音の最後に確かしゃべっていた。
音というのはそれ自身をつかんで手中にすることができない。写真も同じかもしれない。鶯にもそれぞれの鳴き方があり、非常にふくよかな響きの鳥もあればそうでない鳥もいる。しかしどちらの鳥がよりいい声だっただろうか。そんなことは容易くはいえない。音は一瞬で過ぎ去る。そして今日の鳴き声の記憶は来年の今日の声を心の底から待つかもしれないし、大事に今日の音を携えることでどうにか生きていくことはできるかもしれない。しかしながら音そのもののリアリティーはすぐさま消え失せる。音の記憶の反復は音の忘却という側面を同時にもっている。
音は消滅する。命も消滅する。だが「消息」というものが残された手紙ならば、一つの音も一つの手紙のようなものだ。音が残すものは音の記憶ではなく、手紙に書かれた問いのようなもの。そこに本質的に書かれているのは「君にこれがわかるか、これが好きか」ではなく、「ここにいる私とは何者か」という答えのない持続する問いだ。良寛はまさにこの問いを発している。人間にとっての音は人間の外部にも内部にあるものでもない。外部から内部へと動く摩擦、内部への一瞬の残響であり、消滅する音という出来事自体が音楽の軸をなす本質ともいえるかもしれない。そして音によって否応なく問われるのは奏者を含めた他ならぬ聴き手すべてだ。
裏返せば、もし弾き続けるとするならば、私の発する音によってそこに多種多様な問いが一体生まれうるのか。音に死が含まれるか、そこから生という問いが出現するかということかもしれない。このことは音楽は無音すなわち死を軸として生に寄り添うというこれまでの稀有にして神秘的な経験的実感を支える。そのために奏者はここにおいてもやはり音への嗜好的態度と記憶された音の漫然たる反復を避けなければならない。そして音楽への希求を保ち続けるには、無音という出来事がいかに現出しているのか、生活の一部一部の身体経験において見いだしていかなければならない。
別府 beppu(14)2009
10キロはなれた川沿いにきれいな散歩道ができるときいた。自然とふれあいやすくするということもあるようだが、本来の自然を破壊して長年そこにあった生態系を殺し、眼にみえぬものを無視した形で奪い人工的に居心地よくつくりかえたのにも無自覚なまま、同じ自然という言葉を容易くうたい文句にする。今の社会が大きく失いつつあるものは、そこについこのあいだまであった存在への、あるいは命への敬意である。それは記憶と忘却、あるいはみえない余白としての世界への入り口でもある。
長谷川等伯の有名な松林図屏風には、描かれたというよりは残された墨の濃淡としての木々の合間に白く浮き出る霧が印象深く示されている。しかしみていると、霧あるいは大気というみえない白い余白のなかに木々がとけ込み、その余白から木々が新たな情動のなかに動きだす。そこに記憶と忘却の連鎖を通過した言葉のない言葉が聴こえてくる。音の聴こえない音楽と言っても差し支えない。そうして本当に微かに木々の存在が再び明るみに出されてくる。こういってしまうと途端につまらなくなるが、それは息子の死を背負って描かれたのだろう、松の墨に託された亡霊だと私には映った。 周到な考慮を経た後に描かれたに違いないが、決して技術のみが描かせた絵ではない。 おそらく等伯よりも技術の高い絵師はいただろう。絵は現代の博物館の光に照らされ、ガラス越しに亡霊が亡霊を超え出て訴え出ることによって、ほのかに明るい未来へ、より広い生へと開かれている。
医学は当然であるが写真や音楽においても、それぞれの実践方法や実践領域は自ずと異なるが、こうした記憶と忘却の連鎖、生への希求そして死への敬意をいまだに欠いてはいけない。 来るべき存在様態がもはや、「命への敬意」このような古びつつあるかのような言葉の表現を単純には許さないということもあるかもしれない。しかしながら失われるもの、あるいは何らかの状況において失わざるをえないものを冒瀆するものへの抵抗は、この現在において言葉を発する行為、あるいは言葉にならない思想の結晶として行うべき重要な行為である。
今も古びた過去となる。それを生きた亡霊としていくために、朽ちた過去へとさかのぼりわずかな残存を手がかりとして、広い視野をもって現代をその都度生きなおす。それぞれが描かれていない余白をもち、余白のなかに他なるものを浸透させつつ、眼にみえない余白を動かす。それは現代を未来の微明とするために他ならない。
別府 beppu(13)2009
それにしても絵を時間をかけてよくみるようになった。初めての経験が多くてたくさんわかってくることがあるように感じるからだ。大阪の学会の帰りに京都で長谷川等伯展をみた。有名な絵描きはものすごくたくさんの人が集まるものだが、うまい時間をつくって私もじっくりとみた。子を亡くしてからの等伯は特に凄まじいと感じた。一方、近くの親しくなった古美術で、本当に安く譲っていただいた小島老鉄の南画もよい。この人は一見普通の絵に見えるし、有名ではないが真のある画風だ。良寛にも通ずる。山水の中に住居が点在するが人はいない。ついでに山本梅逸の真骨頂とされる南画をはずれたような天狗の絵も、かなり朽ちているものの非常に説得力がある。昔は電気がなかったということをいつも感じる。 私の感じ方では自然光での絵の変化の質感にまさるものはない。光を照らす墨。
音にしても同じと思う。いわゆる録音された音楽というものもあまり聴かなくなってしまった。これによって脱落するものも多いかと思う。苦手な楽譜も、いわゆる五線譜の記号や形態と異なる方が自分にはあっているように思う。昨今鳴き始めた鶯の声はこれまでになくとてもよく聴こえてくる。いつもはっとして身が一瞬静止したようになる。そして何かの音を出すということを続けなければならないという意思は捨てられない。
音に対して、音の形を求めていくことが今、唯一のやるべき道のように思える。 十年か二十年かけて自分にとって必然的な形が少しずつ生まれればよいと思う。だが形とは何らかの日常的な力が飽和して押し出された一つの限定であるから、それだけ時空を豊かに含むものでなければならない。 周りの自然と毎日の色々な出会いとうまくいかないような経験、それらの一つ一つの蓄積が内的に生活の時空を破るもの。そうした経験をつかまえて言葉にできればと思ってきたが、軽率に過ぎた感がある。音が音を破って超えるときのように、言葉が言葉の限定をはずれていくような、際にあるような言葉を求めていかなければならない。良寛を読んだり観たりしてからというもの、急に本当に書こうとすることそのものが難しくなった。
縄文土器の一つの形式とそこに含まれた個々の土器それぞれの細部の自由な形状。たとえばそのような太い形としての音、そこに響く音の枝、葉脈の微妙で微小かつ無限の変化を求めていくことは、単純でつまらなくて滑稽、深くも広くもないことにみえるかもしれないが、その後の多くの革新的な絵師がその基礎としてたどってきた道であると思う。そうした態度はたとえ派手ではないにしても、現代を生きる自らの根幹をなす唯一の方法としてこれから続いていくのかもしれない。
別府 beppu(12)2009
昨日、ここ二週間程度の心の動き、書いてみることが何かの契機になればと思って言葉にしてみたが、さきほど読み返してみるとどうやっても書いたものが納得できずに削除してしまった。
聴くことがいかに大事であるにしても音を身体に引き受けて一音を出すということは大変なことであるし、音そして言葉と思っているうちに、言葉も音と同様に一大事にならざるをえない。写真がそのときのカメラの記録だけでは終わらないように、 楽器で少しずつ音を検証するように、一度振り返って、 残ったとしてもほんの少しだろうが、書いたものを読み返して推敲してみなければいけない。根源的なものは常にすぐそこにあるがすぐに遠ざかる。
別府 beppu(11)2009
たどりつくことのない
霧のむこう岸
霧は灰色にみえている
手を伸ばす
道具の触れた
霧のむこう岸
竹林の風にゆれる
きしみしなる声がきこえる
曇る空の雲がみえる
江戸の精神性を遺された書や絵画にみていく
そういう時間をこの一ヶ月間
仕事の合間をぬってずっと過ごしている
どういうわけかそうなっているがこれも私という旅において
偶然と必然の一体となった出来事なのだろう
江戸後期は入り口に立つだけでもとても興味深い
こうしてさかのぼっていったら
たとえば空海には何十年後にたどりつけるだろうかと思うなら
たどりつくことはできないのかもしれない
それにしても数百年後の人たちは
二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて
この時代を何と呼ぶのだろう
江戸くらいだと直に触れる資料もそこそこあるといってよいし
自分に必要と思われる資料には出来うる限りあたってみる
大事な点は
江戸の人たちを想像してそこにいるかのようにみるのではなく
資料を分析するのでもなく
精神性を想像して真似たり
そこから倫理や教えのようなものを学ぶということでもなく
そうした営為を通じて最後には
現代において江戸時代の特異な人物たち
彼らそのものに自らがなっていくということだ
それは倫理や主客や論理そして鋭い示唆
外側からの視点を保持しつつもそれらを
あくまでも内側から食い破ることだ
そうした姿勢を常に貫いて彼らに接することだ
だがそうすることが本当に可能なほど
生きた色彩が今になってもなお
具体的な絵画などから肌で感じとれるのだから
彼らの営為はもの凄いことだと思われてくる
若沖が寄想の画家なら岸駒は異想の画家だろうか
名のあまり売れなかった絵師の南画などにも
入り方さえ間ちがわなければ
そうした偉大なる個性はみてとれる
ずっとみていると
私の空間的振る舞いは極小し
精神としての私は極大する
空間的環境が変化すれば自己は変化するが
時間的環境の変化に身を置くことによって
精神を新しくつくりかえるという試み
そうしなければならない
人間と手に触れる道具によって世界を間接的に捉える
さらに間という出来事の内部と外部
その間にたってじっとしている
私という人生の旅の否定
私という一つの軸を捨てる
そうしたときもはや行為は行為でなくなるが
そこにもう一つの別種の行いがやってくるように察せられる
どうしてもそのように感じられてきて
何かを待つ
果たせずに死んだとしても
死自体がそうした行いとしてあるに違いない
こうした試みのなかにあろうとする契機は
先月からやはり良寛を捉え直してみたなかにある
これも良寛の遺跡の真偽含めて資料にあたって導きだした
一つの初歩的な懸案にすぎない
しかし以前から良寛和尚はその生き方がどこか奥の方でくすぶっていたのだが
身体として特にその思想の反映される書に導かれたのは
私の生において空間的な変化が時間的変化へと変容し
合一する過程の出来事として捉えられるかもしれない
良寛のようには生きることはできないし
ある種の清貧の倫理が今必要であると強調したとてもはや果たせないだろう
そうしたこととは全く別個の次元において
その生の意識のなかに入りこむことは可能ではないか
そうしたときこの身体がどう動きだすのだろうか
この五月にはやはり越後を訪れよう
別府 beppu(10)2009
雨
となりの庭
桃色の梅
と書き出してもどこか味気ない
つまるところ
この手で文字を書いていないからだろうと思う
想像するに
弓をもつ手の感触が弦との接触ということの内側にあるのであれば
書の感触は筆と紙の接触のなかにあるのだろうから
筆と紙の質は大事なのだろう
そうしてみると文字をかくということは生きる過程そのものだろう
東京で新潟を撮っている宮島折恵さんの写真をみたからか
帰りの新幹線でふと良寛のことが思い起こされて
良寛の生まれた越後を再び訪れたくなった
良寛の文字をみていると
意味やその形態以前に
書かれた文字そのものに生き方が収斂されている
文字自体が問いと否定としてあるから
究極的にはどんな形容もできないように
そこにあるようにみえる
文字自体にその思想が表明されている
良寛が筆でそれを書いている姿と
筆先と手の動きや顔
速度
庵
春
雨音
音も書から学ぶことができるだろう
言葉のことをどこかで思っていながら
こんな基本的なことに
ここ数週間少しだけ本を読んでようやく気づいた
弦を擦り一つの音の時空をつくることは
一文字を書くことに匹敵するだろう
音は一画だろうか
それらを文にしていくということは
一文字一文字のなかに否定と問い
言葉の芯をとどめていくことだ
そうしてできた一つの表の問いの形は
裏の否定に密着している
であればいつ擦ってもその姿形は異なる
そのときさらりとかかれた文にも
選びとられた文字の裏側に
時を熟して未来に凝固していくであろうすべて
選びとられなかった他がある
写真にもどこか通ずる
それでは声の文字
文字の声
歌とは何なのだろうかと思う
自分の問題としてやっと
こうしたことはそもそもそれほど考えなくともよいのかもしれないけれど
書道さえあまりにも安易にパフォーマンスされるのを目にするにつけて
根源的な出自へと向かわざるをえない何か
私が生きているこの状況に要請されているような何か
問いがあるように思われるから
これからも時々こうして書いていこう
そういえば
今日は39の誕生日
偉大な先人がいかに偉大であるか知れば知るほど
どんどん進むべき道は未知となっていくけれど
自分のどこかから
何かに導かれて
楽器もまた少しづつ続けていけそうな気もちがしてきた
別府 beppu(9)2009
家路にはいつも城がある
城の下にある家にたどりつくのは日頃から当然のごとくわかっているようだが
たどりつくかは本当にはわからない
澄み切った夜空
どこにあるかみえない雲の一群から
何かを待ちわびてきたかのごとく
粉雪が舞い降りてくる
たどりつくことは待つことの
上下なき鏡の位置にある
どこかへたどりつこうとする意思は
何かを待つための礎である
それがどこなのかあらかじめわからなくてもよいが
いま私はよくわからないのだが
到着点ということなしに
何かを待つこともできないように思う
待つことは間という場を形成し
時間と空間を
静寂と静止を統一する
それが時空ということかもしれない
一音や一枚の写真は待機された時空の
一つの具現であり
写真を撮ることは到着への意思からはじまり
写真は静止し何かを待機する
音を出すことは静寂を破る意思によってその場を出来する動きであり
音の余韻から無音へと至ることによって再び何かが待機される
到着への意思は
身体を通過した言葉の結実化される際へと通じ
言葉が真に未来へとむかう礎となるのは
おのずからの意思によって
言葉の結実点が沈黙を破ったときである
まだまだそうした真の感触はこないが
沈黙と静止と静寂
それらによって支えられてあるものが
動きであり変化である
変化ということの通低には静寂と静止と沈黙がある
そういうことは直に感じられる
到着と待機の合間
動と不動の境目が言葉の役割であり
言葉が時空の裂け目をひらく
場が揺れていく
そのように言葉は広く人間に密着している
人間の身体の言葉もその一つであるが
やはり言葉のないものたちの言葉に耳を傾けたい
それもただそれだけのために
あの澄み切った夜空から舞い降りた雪
形容しがたい時空の裂け目を生じさせた家路の粉雪
それもまた文字に書き音に話す言葉と同等に
世界を分かつもの
世界の一端を担っている
最近非常によくみている特に江戸の浮世絵がいまここに提出しているものたちも
戻ることのない時間
過去の浮き世の影としての
静止し静寂した一瞬に投げかけられた言葉である
一世紀という期間も一瞬にすぎない
過去を今に本質的につなげることが今を未来へとつなげることであれば
連綿と続く言葉の深さとともに生じてくる言葉の広さがいま大事である
そうした言葉は到着点や目標値の定められるような啓蒙と達成という枠のなかにはなく
分けられた時間と空間を時空へと再びおしだす動きをかたちづくるというべきだろうか
こうしたことは昨年こちらにきて
エックハルトに出会ってからというもの常時気にかかっている
科学者のヘルマン・ワイルはエックハルトをこえようとしたともきく
エックハルトによって私はいまも静止し続けているように思う
西洋的なるものは私にとって避けることができないし
いずれは高野山を深く訪れるためにも空海を読んでみたいと最近思うようになってきている
別府 beppu(8)2009
間近でみる浮世絵の色の深さに魅せられ伊藤若冲の筆跡と墨の濃淡にいたっては心打たれるあまり
何も手が付けられなくなるしちょっとした自然光ですらいかに豊かであるかを絵が知らしめてくれる
そのような光はやはりそのままありがたく感受するのがよい
自然と太宰府でやっていたチベット美術の見事な仏像の数々の姿が思い起こされる
チベット美術において伝統はやってくる未来であった
国芳や芳年も江戸後期という時代と真摯に戯れ格闘している
死んでも死にきれない想像力が言葉の光となっていまここに次々降ってくる
浮き彫られる影
此岸と彼岸は存在形式が異なる現実の二つの形である
秋、川の土手にさく彼岸花はそれを一つの統一された現実の姿として知らしめてくれた
禅においては山が山である地点から山が山でない地点へと向かい非常に興味深いことにそこでは終わらず
言葉の力動そのものによって言葉の文節がほどけた形で山が山であるという次元へとさらに戻ってくる
山はそうした過程を経て混沌のなか再び山として観られる
そうした場所が写真のなかに垣間みえるとき写真もまた言葉を通過しているだろう
音もそうした過程を長い時間をかけて経ているように思える
節目節目は切実な転換点でありつつも虚ろな結実点にすぎない
そして行く先は全くわからない
もう一つ最近身近で強く感じて気になっていることは
律動はつめられた間でありこの点においても無音が大事になるということくらいだろうか
木曽川の冬
木々の葉は枯れている
春の芽を待つ言葉をときどき連ね連ね
別府 beppu(7)2009
新年を迎えて伊勢神宮に初めてお参りしたりしてはや二週間余り
偶然のことだったが今日生まれて初めて琵琶の弾奏を聴いた
たまたま聴き手は家族三人だけで六畳の畳部屋
千利休が切腹させられた日の憂いや怖れなき心を詠んだ自作のうたと即興を二十分ほど
七ヶ月になる子はたたかれた音の迫力に終始身をたじろぐようにし今にも泣き出しそうだったが
泣くことはできない場と小さい身体が察したのか奏者が泣かせなかったのか最後まで泣かずにいた
私はじっと聴いていたが私の呼吸にあわせて奏でていたとおっしゃっていた
こういうものは本来琵琶奏者というような職業という意識でやられているのではないのだろう
ご本人も土木関係のお仕事とおっしゃる
代々琵琶をひきついできたということ
音のはじかれる質感と微妙な変化とリズム
それらがうたを支える音の流れの基本となっているようだったがとにもかくにも凄まじい音
一つの手本のように思えた
自作のものを少しずつ作りたいという気持ちが強まる
題材から詩からすべてこの小さい身体を通してくるものがよい
だがそれだけのものがあるのか
もうなにもないところからもなにかがあるのかないのか
そうした瀬戸際に立たなければいずれにせよなにもないだろう
こういうことには単に人前で奏でるということよりも
生きるためのもっと大事なものが含まれている
今日の琵琶の方も一曲作るのに歴史から掘り起こして三年とおっしゃった
そして利休の墓前へ参って奏でてのち京都のお寺の許可のようなものをうけてここに弾くにいたっており
ごく小さな場所で人前で弾くのは今という時代にただ何か大事なものを伝えたい気持ちだけだという
こうしたあり方と一対をなすようにバッハはやはり日常の自己の鏡となる
そのことがバッハを弾いていくうえで私にとって大事なのだと思う
コントラバスのなかにはどちらもが対にそこにある
補完の関係でもなくどちらかがどちらかを超えたり
どちらか一方が身をひいたりせずにいるし主張のしあいでもない
自己分裂せずにあるがままそこにある音の姿楽器の姿がそう感じられる
そもそもの音が重い楽器だからだろうか
今日の琵琶も音の高低というよりも
音そのものの質にあらわれる低い重心がうたを支えていた
そうしたことを思っているとますます
この音はこうでなくてはならないとすることが困難なものとして映ってくる
ますます後退するばかりなのだがその果てにあるものが最も切実なものだろう
さらに続けてそのプロセスを経なければいけないが
そのさらにあとがいかなるものとして残るのか
過程のさらにあとにあるであろう契機を何か一つ見いださなければどこか踏み出せない
一つの契機のために相当な時間をまたかけなければならない
これまでのような他者の参照の仕方ではなく
そして写真も言葉も独立しつつも音と同じような過程のなかになければならないのだろう
聴くことと観ることと考えて言葉にすることがとりわけ今いかに大事かということから
そして心がいかにあるかということからまた今年も始まったように思えるが
それにしても何を聴いたり何を観たり何を読んでも
通過しなければならないものが最終的に自己をおいて他にないということ
そうした自覚のあり方はここ数年と多少は異なるかもしれない
こちらの土地の四季の変化と基調をなす静けさが
自己の微々たる変化をそれだけ
尺度大きくみつめさせてくれているのだと日頃から感じている
そして東京で行う個展はそうしたなか
具体的な心の摩擦や身体の意味としてあらわれてくるものと感じる
同じ日本といってもどうしてこう違うのだろうか
東京を離れてみて私にとって東京とはいかなる土地であったのか
そういうことにも数年先には触れてみたいし避けて通れない気もしている
別府 beppu(6)2009
個展が終わり今日は仕事納めで夜に東京に再び里帰りする。子供が生まれ今年から生活を始めた犬山での今年の最後の日にやはり何かここに書いておかないといけないと思う。やはりこの一年は終わったばかりの個展に集約されているのだろう。
まずは音楽に関して最も練習して自分をかけて挑んだバッハが失敗することすらできない大失態となり、足を運んでくださった想像をはるかに超える大勢の方々にお詫びのしようもない気持ちでいる。最もやりたかったバッハの一曲すら弾くことができなかった。挫折感は大きい。ここ二日間で容易に思い当たる原因はわかっているだけでも大きなものが三つある。
・基本に立ち返って一つの方法のなかで洗練させるなかで音の質感が固定され、犬山という環境である質感をもつ音に無意識的な価値を見いだしていたことによって会場の場での音の大きな変化に徹する事ができず、音に対して戸惑いが前面にでたこと、これは音を鏡とする場において本来的にあってはならないことであり猛反省を要する
・第二には一曲一曲を本当に完璧に仕上げるまでに至らなかったこと、その地点からの必然的な失敗こそが真の価値をもちそれこそが重要であるとの信念に立っていたにもかかわらずその前提をもてるまでの準備すらできなかったこと
・最後は場においての実践を通しての経験が不足していることに尽きる
他にもあるのだろうが主にこうしたことを反省として受けとめて否定を否定として肯定し次に生かしていく以外にない。しかしながら以下のような点は微々たるものではあるがこれからに繋がる積極的側面として捉えられるかと思う。
・個展に至るまでの方法については違うあり方はなかったし大きな意味で今後も変化はないであろうと今においても確信されること、ただ徹し切ることができていないという問題は大きいしそれがいかに困難であるかということを再認識できた点
・対自的にではあるがこの大きな挫折の感覚は「一人で立つ」ということにおいて自己の存在そのものをそこへかけていたということと対である点
・今回作為なく用意する事のできた曲(ある程度の内容の演奏だったのでこれを「凪風」と題してもよいかとは思うが、バッハの失態の後にこの音だという音を探らざるを得なかったことが残念である)、そして前回までこだわり続けた解放弦での「微明」の共通項である「生まれ死ぬ」というということが私自身の問いとして深く確認できた点
写真に関しては言葉にすることがいまできないが、写真をとる際の方法に関しては変化がなかったものの、内容に関しては昨年とは少なくとも異なったあり方に自ら立っていたように思う。演奏では結果は果たせなかったが音楽に関して犬山で考察してきたことが写真において少しの変化を生んでいるようだ。ご来場いただいた方の一人にはものすごく音楽的だという私にとって本当に有り難いご指摘を受けた。しかし写真を言葉にすることはそもそも難しい。なぜだろうか。こちらもそれだけ経験が少ないのだろう。
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このたびは皆様ありがとうございました。多くの方々との良き再会と良き出会いのためにこうした小さな個展があるということをさらに肝に銘じなければならないと思います。
別府 beppu(5) 2009
明日東京のギャラリーへ仕事の後にむかう
個展はもう会期の後半で不思議な感触だ
展示されている写真はもはや自分の写真でもないだろう
プリントもギャラリーの牟田さんに今回お願いした
静かな場所に自分と関わりが深くて遠くにある写真が佇んでいると思うとうれしい
毎日課題を見つけるように少しずつ練習をしてきた演奏をひかえ
未完成さ不完全さ不可能性を最後まで大事にしたい
決めごとを最小限にして場の新鮮さに待つ
曲を鏡として未知なる記憶へさかのぼり未来を溶解させるように
うっすらと音の行方を意識しつつ楽器に委ね身体にまかせるように
音楽をすることができればと思う
別府 beppu(4)2009
バッハの楽譜は音楽ではない。一つの曲を弾きこなそうとする過程のなかにバッハではない何かが芽をみせてあらわれてくる。言葉で名指すことはできないが今生きていることの証、過去と未来への発露というような音にあらわれた質感のようなものだろうか。技術的に困難であればあるほど不可能と思われる運指のなかから予期のできない意識の下に眠りどこかにしまわれていたような記憶、熊楠が没頭していた粘菌の動きのような意識のない非合理のなかにうっすらとかいまみえるような未来へ周到に備える合理的ふるまい、身体的記憶の情感、そうでなくてはならない生きていくための心のかたち、そこに生じてきたものとの揺れ動く対話、そのような何かがあらわれてくる。変化し続ける今生じている何かを支えているような一つの質感に忠実になってはある意識においてあらかじめ目標とされた何かが失敗され再びどこかへほうり出されるということをくり返していくうちにいつしかコントラバスという長い弦をもつ弦楽器の重厚さとうまくひくことのできない限定のなかに曲に漂う根底的な哀しみをやっと聴くことできるようになる。この地点が音が音楽となるための出発点であるだろう。楽譜の一粒一粒がそうして一つの生としての音楽となる契機がそこにある。そうであればたった一つの曲をさしあたりまともに弾くようになるのに数年かかって当然ともいえるのであり曲の質感と楽器と身体と記憶そしていまここが一体となり得体の知れない何かに触れることではじめて一つの曲を弾くということが本当に為される。音楽をすることにおいて何かをいわば失敗することによって大きな何かを経験し発見し問いを見つけある種の音の権威づけや音の競合のようなものから遠くはなれていくそうした遠くにある地点へ向かって前に踏み込んで進んでいくこと。それは自己の垢を落とすことでもありそうした過程にあらわれてくることが身体を通じた現在から発せられる未来への一つの小さな創造でありうるならば一つの曲をたやすく終わらせてはならないだろう。一つの曲をはじめ弾き続けていくことは未来への冒険の契機でありその都度その都度音楽へと一歩一歩近づくための過程のはじまりである。そして昨今楽器そして弓から導きだされる音との対話においてわかるのは私自身のいる地点は楽器や音楽の大きさからすればまだ本当に初歩的な地点にすぎないということである。
別府 beppu(3)2009
ここのところの楽器の練習で漠然と考えている事が多々あるから大事と思われる点をそのまま
考えるだけでなく演奏行為に多くを結実させることができればよいのだが長い長い道のりだろう
音の強弱大小を問わず音が鳴っている事
幅の狭い音程のなかに広さを観る事
音の形の押し出す個々の音の連なりをあるがままに限定していく事
定まりつつある型からあるがままに逸れていく事
集中する事と解放する事
怠惰でない事と性急でない事
どのような音のあり方も一つ一つ吟味してみる事
様々な差異は楽器を奏でる基本に立ちかえることで判然としてくるという事
基本に立ちかえることで自由に近づくという事
聴くこととは自らを信じることと同義である事
一度一度新しい何らかの情熱を吹き込む事
音に何かを託すことと音にあらわれる何かとは別物であるが両者が入り交じっている場合が多いという事
そうした状態を自覚しつつ変化する自己を音の鏡とし音を自己の鏡とする事
音が一つの人間の言葉であるーはじめに言葉があったーそれがごとくはじめに音ありきという事
音と真に対話し始めるとなぜあるがままに涙するのかという事
音の効果を求めず音を発する人間でありつづけるという事
もののあはれとは何かという事
等々問題点はあまりに多いが毎日1時間必ず音に関して集中すること
別府 beppu(2)2009
言葉のものごとを限定する力
否定の力動に抗うことなく表現の道筋を通り
世界を否定しつづけてある地点にたつとき
否定の否定によって今度は
世界から照射された自己をふり返る
そのとき言葉は言葉の限定力をこえて
沈黙からもれだした言葉のかけらへと
失敗する言葉へとつきぬけていく
多極的に重層的にそしてまさに音楽的に
だが当の言葉によってそこにやっと詩が
自ずから姿をみせるときがくるだろう
個々なるものそして誰もが
一なるものすべての言葉すなわち沈黙の
発露としてあらわれいまここにある
その力動が観えて聴こえてくる
世界に呼応する自己の動きに徹し一つの世界を感じながら
ガルシア・ロルカは詩を創造し続けたにちがいない
その詩をつたなくとも音読してみたり資料を読んでいると
死から言葉が投射されて生の言葉のかけらが生じているように聴こえてくる
Viento estancado a las cinco de la tarde
sin pájaros
冒険すること
一つの失敗のなかに次なる道を拓く
そうした旅をしていくことができるだろうか
別府 beppu, japan, 2009
昼には木曽川の近くで鷲が風に舞って鳴いているその声は音楽そのものだ
深い夜の空に煌めくオリオン座の星々は暗闇のなか遠い遠い光そのものだ
私にとってたとえば写真を肯定していくことはやはり自己をそのまま表現することではなく、「こうではなくてこうである」という否定をさらに否定すること、すなわち「こうである」ということだけがのこるような何かとしてあるのではないかと思うことがある。それができるかわからないにしても。否定が否定されたとき表現ということとは似ていても異なる形があらわれてくるように思える。そして死が遠ざけられようとしているいま写真は表現の不可能性を果たしていく宿命さえその役割のなかにもっているようにもみえるが、現実が誰のものでもないという自覚は程度の差こそあれどのような写真をみても呼び起こされるし、作家性とかテーマ性というものはどうしても二の次の問題となっていく。そうしてみると個展などどうしてするのかという思いにいつもいつもどうしてもかられてくる。
食欲や性欲や惰眠をむさぼることを無視して生きることはできないが、注意を怠れば不可能性や否定自体を当の写真に対象化し自己の本能的な欲望にそれらがとりこまれ、表現の世界へと写真がすぐに転化していく可能性があるだろうし、注意しなければならないということはこうではないと何かを少なくとも否定して意識していくことである。そうしてみるとこうした観念のジレンマのようなものを感じつつもそこから本質的に離れるために否定の行為のさらに否定に立つそのようなある種の肯定的な行為や態度が一体どのようにあるのだろうか、そんなふうに最後には導かれていく、そうでなければ社会全体からしたら小さな場といえども、やはりなかなか個展などできるものではない。それはたぶん新しい世界の切り口の写真でもなければ生を直接表現するようなものではなく、自然な力動を磁場のようにそこに帯びつつまた総じて何の変哲もなく時空が否定の否定という過程を経て肯定された場に結果的に異質な何かが佇むような場だろうか。
人間が発明し遠くを詳細に拡大してみようとする双眼鏡を逆からのぞいた風景のようなもの、経験の少なさからくる無垢な心情にすぎないのかもしれないが、過去にどこかでみたような写真そして音のなかにも双眼鏡を逆にしてみれば何か別なすがたかたちがみえてくるかもしれない。それらを鏡とすることでかつて存在しなかったものの可能性がそこにみられる契機となるかもしれない。写真や音が一回限りのものであることと写真や音が記憶や意識や身体や心というものと連関すること。記憶や意識という断面を保持しながらもいまここに何かが生じているような写真という平面そして音という他者と、人間との肯定的摩擦のなかにあるもの。それを導くための否定が否定される場。
斬新なものはなにもないがじっとみてよくきけばそこに生じている反復とずれによってかつて経験したことのなかったものが浮き彫りとなるような音と写真への態度。音でいえばたとえばバッハにおいて作曲された形のなかに即興性でうめつくされた何かを聴くような態度だろうか。さらにいえば診療行為というものに対する真の臨床的態度だろうか。医者の職につきながら少しずつやってきた音楽と写真であるが各々を独立したものとしてやはり私は捉えることはもはやできないし、身のまわりの日常が関与するすべてなしには私という自己が自己においてそして自己からはなれて行為することはできないように思う。
過去の数少ない個展や発表会をふりかえればそこに小さな自分がいる。何かを発表したり行為したりする場は音が自然の絶対的な厳格さにうたれたときに人間にとっての真の音となっていく、そうした弱く小さい自己というものを体感するのと似たような場に自らを自らを通して否応無しに置いていくということにおいてよい契機となりうるのかもしれない。そして過去に数回行ったなかに何か硬質で弾力のあるような感触のようなものがどこか漂っているのはなぜか。そこにも多かれ少なかれ人の真の心の行き交いと出会いそして別れがあるからだろう。それは医者の臨床に直結することがらだし機会があるということに感謝して私はそういう場を大事にしなければならないと思う。