PARIS(france)

paris(3), france 2008

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赤ん坊の
物理的な軽さと相反する重力の重み
豊かな顔の表情とまだ細くもろそうな足
その拮抗に存在と生命の磁場が表出する

音の際に力がある
捉えきれない
過ぎさってゆく
もうここにはない
音をひそひそと
捉えようと
奥底の方で唸りをあげている
三頭身大の脳の中に含蓄された
遥かなる故人の智慧と身体と遺伝子のなかで
わずかにこの身体が
その産声の際に
宿る魂に触れる

音の磁場とは非なるもの
だが音の際で唸りをあげている
生命の磁場と楽器の
すれあいが音

木目に覆い隠された空間
その気の軽さの揺れるなかに響く低音
垂直にうまれる時間
コントラバスの磁場は
低音によって産声をあげる

産声から音楽が始まるとすれば産声を
創造することが不可能であるその産声を
どうつかまえるかではなく
音を生み出そうとする力に逆らわず
こうあるしかない方向が出現する産みの
手まえにある身体の内部を
聴き続ける

時間軸に抗して
脈打つ連なりを感じて
数世紀前に生きた人間の顔を思い描くように




paris(2), france 2008

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泣いている子が音楽に聴き入って泣かなくなっていく驚き
音の豊かな経験は身体に大きく語りかけている
その劇的なる変化の始まりは
子の遠視した眼の内側に耳の記憶が宿り
子の耳が子の眼に語りかけて
子の焦点のない眼によって
直観として察せられる

そうして同じ音楽の時空に入り経験するとき
音は場の動きと変化そのものをもたらすための最も優れた媒体である
容易にそのことが理解される

音楽は生とともに向かう
失われたものへと
ここを離脱し
ここへ回帰するように

楽器は失われた生を
生きて奏でるための箱
万有引力に抗するほどに軽い

楽器は失われたものの代弁者であり
音楽は最も身近なる伝道者である

音の場の動きのなかで固定された時空は融解され
その揺れる振動と大気のなかに死が呼び込まれる
その生きた循環のあらわれと流動性のなかに
子の耳は生命力あふれ
ただ浸されている

生死の境目から吹いた息吹が
人間と楽器を介して
ただひたすら音を運んでいる音楽の
素晴らしさ




paris, france 2008

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夜明けに子を授かった
満月のアルハンブラに宿り
満月の犬山に無事生まれた

導いてくださった
すべての方々に深い感謝を
助産婦さんと担当医師には心からの御礼を




Aéroport Roissy-Charles-de-Gaulle, paris, france 2008

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人生が旅だとしたら
輪廻する人生に始まりも終わりもないかもしれないが
旅の記憶ならあるかもしれない
記憶ということについて新しく思いは膨らむがその輪郭はぼやけている
スペイン・アンダルシアへの旅のメモと記憶
今日という日を通じて
東京の片隅から遠く離れていく過程
今日という日にもその旅は新しさと鮮やかさをもって現れてくる

旅は日常の心を癒し日常の疲労をとることではない
旅は非日常を日常から分離し区切られた時空間に押し込めることではない
旅は日常から離れていく心と身体の変化のなかに一つの試練と出会いを求めること
旅に入り込み身体を身体として感じる
旅へ期待することよりも旅から与えられるものの方が比較にならないほど大きいのだが
旅にあえて求めるものがあるとしたらそれは東京と異なった疲労の味わいだ
旅はそうした変化のための微細な心と身体の移動から始まるかのようだった

ジャンボジェット機
微細な移動の積み重ねが
速度そのものによって切り裂かれる時空の訪れ
時空の分断される裂け目と速度の変容
アンダルシアに行く
なぜと考えることより
時空の裂け目と速度の変容のなかに身を徐々にさらすことのなかに
旅の基礎的な感覚的体力を徐々に培う
その土地に身をさらすまでの過程のなかに
入り込むその入り方のなかにその土地を感受する準備を身にまといつつ
アンダルシアを感じることのためにある身体の過程
旅のもつ独特なその深淵のなかに
徐々に降りていかなければならない
人生を生きる意思の力で
感覚の変容そのものを気散じさせることなくその時空へと入り込む
微かな変容の連なりと一気に切り裂かれる時空

行路の飛行機のなかですべきことは山ほどある
主に11月下旬予定の個展のこと
ポルトガルの写真選びはやっとのことで大体終えてきた
バッハの暗譜と運指の想像ー解決しうるか
演奏の形
タイトル決め
昨年訪れた隣国のポルトガルを再び夢みて
「荘子」内篇を読み返す
私の現実に十全に呼応してあまりない荘子は
逆説による壮大な詩と知恵
想像できないほどの密度
この一年根本は何も変わらない
時の充実が再び自ずからやってくるまでしばらく変わらないだろう
それはいつやってくるのかやってこないのか
「微明」はそうして身体そのものから出てきた音であった
そのことに何ら嘘はない
それはテーマではない
生きていること
そのもの




paris, france, 2007

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写真と音にもどってみると
どんな写真や音でもよい
ということではない

注意を払って
でも慎重にならず
大胆にでもなく

動きを止めないように
と意識すると
もう動きは止まってしまうから

音と写真のあとから
発見と感受がついてくるときには
すでにその音と写真は
もうそこにない

身体が心が知っていることを
そのままやればよい
それは何でもないこと
きっと単純なこと
それは意識せずとも
きっと知っている

これは身体の一つの訓練なのか
音を写真を自由にするための

だが果てしなく難しい
惰性の許されない
一瞬一瞬の状況に
我が身をおくことだから

音と写真が
偶然の一瞬一瞬だとしても
何ら不思議でないから
出会いは厳しい

やってはこぼれおちる
そのように
身体を
鍛錬する

この旅が終わりのない楽しみでもあるなら
きっとそこに投げ出してみてもよいだろう




paris, france, 2007

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顔という窓から他者の情念に触れる。
そしてその情動の渦のなかに聴こえだす、一つの乾き切った声。
その声から拡がり集約するすべての世界の交点から漏れだす声。
顔から声へ。他者とともにあるということ。




paris, france 2007

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光と、影。
狭間にたゆたう倫理。

眼の筋肉しか動かすことのできない、
その人が眠る窓辺に、
その猫はたたずんでいた。

糞便の匂いを日々かぎわけ、
彼らのまなざしは、日々、
声なき声を聴く。