甲州 koshu (22), 2008

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荒野に放たれた夢のごとく
夏が過ぎる

霞む眼の霧は晴れないまま
期待と不安のなかに漂流していた
一粒の勇気をみつけて
内蔵の響きを身に灯して

木々がまた樹皮を纏うように
地の果てにまた世界が開くことを夢みて
夏が過ぎる


はかなくもくずれさろうとするその心にその身を帰すことのなかに
新しく生まれ出ずる心をつかまえ
無垢なる純身をさらす

生きる哀しみ
朽ちる宿命を身体に湛えて
その荘厳なる生の影を
ただひたすらに待つ

身寄りのない
その孤独な他者は
待つ




甲州 koshu (21), 2008

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写真

虚構か虚構でないかではなく
物語か物語でないかではなく

眼の世界にはまってしまうことに
世界が眼のなかで完結することに
あくまで抵抗する手段としての




甲州 koshu (20), 2008

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ささやいた足音の
漠たる気配の夢

不安を大地になすりつけ
祈りを海にささげ
希望を空に呼びかけても

大地の海の空の恵みを
労ることを忘れず

眼を耳をいま
こじあける





甲州 koshu (19), 2008

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陽だまりの外でもなく
陽だまりの内でもなく

陽だまりの光

陽だまり
 




甲州 koshu (18), 2008

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確か2000年か2001年頃だったか
新潟県で催されたアート・トリエンナーレに車を走らせた
それまでよく知らなかったジェームズ・タレルの作品にそのときはじめて出会った

光は波や物質ではなかった
光はただそこにあった
光はゆっくりと変化した
ただ光がそこにあった
眼は光の窓口に過ぎなかった

その場所は
光を心と身体で受け止めることを促していた
いわば対象なき眼の順応を
動物としての人間の自律機能を促していた
場を去る前と後
身体の変化そして開放された身体


光は視覚との関係だけで捉えるべきものではなかった
ポストモダンといわれる思想もその地点から逃れようとして逃れられないようにみえる
言及すればするほどその光はみえなくなる

光はそこにある
すぐそこに

この音にこの写真ーこの写真にこの音
そこには音や光の脳内イメージや思考が必ず介在する
もはや作者のそれがわかるかわからないかということが脳みその中心にあっては全くおもしろくない

音を探るように写真を撮り
楽器を奏でるように写真を選び焼き付け
音を聴くように写真をみる

音や光は静寂やそれらの影として
身体の脇にただそっとしているだけのこともあるし
音や光は決して定まることのない方向でいろいろなかたちで
境界不明瞭にしみ出しては逃げ去る


音をうけいれ光をうけいれ身体を信じる
だが身体を信じることは単純であるようだが最も困難なことである

森林を歩いていると
運良くせせらぎの音と蝶の舞う姿と鳥のさえずりが心地よく聴こえてくるときもあるが
森林は突如として完膚なきまでの自然の厳しさを語る
そのように身体は優しくもあり厳しくもある
完膚なきまでに

それでもなおそのように
音と光に導かれ身体を信じることは
他なるものとの出会いをもたらしてくれる
そこに豊穣な何かがつまっている




甲州 koshu (17), 2008

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病に寄り添う

名付けられた/名付けることのできた/名付けることのできなかった
どのような病であっても
そこにある身体として
開かれるために

身体の膨張とテクノロジーの未曾有の拡張の果てにある
身体の幻覚を
すべてがみるということのないために

有限のなかに
微少の変化のなかに
人間の節度をたもちながら

生きる抵抗と肯定のはざまで
生の静寂に帰すことを待って
開かれる涙を待って

生の雑音から放り出された
生の雑音のなかに
ともにあることができるならば




甲州 koshu (16), 2008

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楽器の手入れをすると楽器に命が吹き込まれる。手を入れることは労(いたわ)ることである。

日頃どんなに切迫していて、どうしようもなく多忙な状況があろうとも、他者を労る心がその場面に少しでも残されていたり、それを感じなおしたりする意思があれば、人と人は何とか乗り切れることも多い。労る心とは例をあげればいくらでもあるのだろうが、例えば思うに、

最近の身近な出来事では、眼の見えない方にどのような声と抑揚で、どのような仕方で語りかければよいかを自己の身体が感じ、その方法をその人に導かれつつ一瞬、瞬時に更新していこうとすることである。古来からの例えにあるように、精一杯に咲く花に接して、咲く花の咲く喜びとこれから咲いては散ってゆくであろうはかなさを自己の身体が自己の身体の運命とともに瞬時に感じとり、花を愛でることである。それは自らの身体を何かの鏡として心に留め、その心と身体が変化していくことから始まる。

とてもよく労るためによく感じるためには、その身体としてそのときのいわば最高に機能した身体が必要であり、それにはそれがよく働くための心と身体の技術を要する。そしてそのような、労るために感じるための身体を表出するための過程そのものには、概念や思い込みによる外側からの差別は入り込む余地は極力少ないかもしれない。時に時間もかかることだが、そのようにして過程をふんだ労りの心と身体は理屈抜きで伝わる。理屈抜きで関係を開く。それはおそらく純粋に科学的思考の外側にあって、概念的なココロとカラダの捉え方では説明できない、というよりも説明し尽くせずに何かがこぼれおちる。そのこぼれ落ちる領域に、労るのに必要な身体と心があるからである。とらわれない身体と心のなかにそれはあるといってもよい。

現代において科学技術は必要だが、無論どんな技術でもよいわけではない。西欧思想も今や避けて通れないし東洋にも科学的思考は古くからあった。悲痛な歴史のなかにも、東西を問わず人間が生きのびるための良き知恵は、その時々にあったはずである。

科学的技術は毒にも薬にもなるというが、薬になることや即効薬を目指すだけではもはや不十分である。技術は他者を労るためにある。それは思い考えることの技術であり、音楽の技術である。そして人間にとって火の発明にも匹敵するといわれる写真という技術のなかにあってもよいだろう。 少なくとも私にとって技術がいかにあるべきものかという一般問題は避けて通れない。 それは最先端のハイテクな技術を身につけることから最も遠い技術であり、それはここにある身体感覚をその都度、新たに呼び起こすための基本的な技術なのであろうが、とても単純なことでありながら、おそらく世界が多様であるが故に逆説的にもそれは全く一筋縄ではいかない冒険のようなものである。模索の旅路、それも一里も進んではいないにもかかわらず踏み込んで書けば、今の視覚の時代には写真という技術のなかに、少なからずこのことが必要であるように感じる。




甲州 koshu (15), 2008

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関係を媒介する身体
場を開くための
他者と自己の具体的な出会いにもどって

ある先端において
ある過剰において
みえなかったものがみえてくる
きこえなかったものがきこえてくる

重ね
変化がもたらされても
止めずに

静寂の場を開く




甲州 koshu (14), 2008

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中枢ー末梢 末梢ー中枢

ある見方に従って分類すればするほど各カテゴリーはさらに分類される
細分化されると一挙に全体を把握する感覚が薄れる

ある分類をその見方に従って逆にたどってやっと論理的連携を知るのだが
見方をかえれば連携はダイレクトに身体によって見えることがある

いや、ある見方を違う見方にかえるだけでは今や不十分である
見方を見方でなくすことが、身体のくすぐったいような感覚を呼び覚ます

90年代以降くらいからか、身体論がはやった
精神分析と身体を結びつけようとする概念もあった

だがその少し向こうにあること
異なる次元の連携を身体感覚として感じなおすことはできないか
その感覚こそ身体を真に開くのではないか

例えば各臓器は決して独立に存在せず多臓器と連携している
それは科学的な見方からもいえる
そのことを一挙に把握できるような身体感覚を取り戻せないか

おそらくそれは太古から生物のなかにあるのかもしれないし
今、人間が感じることが困難な感覚かもしれない

人間を定義することはできないが
例えば医者であること、演奏家であること、写真家であることのまえに
人間が人間としてあることを今
身体が感受することが求められているように感じる
それは生き方に、新たな倫理につながる可能性がある

だが人間は歩みのなかにある
少なくとも歩みの果てにあるもの、そして古代からある身体的感受性を共存させることはできないか

それは例えばいわゆる身体能力の差異を遺伝子に結びつけないこととしてある
だが現状は身体能力に差があるのかというところから始めなくてはならない
それがおそらく身のまわりの現実として感じることだ
もっともっと広く考えるべきである

あらゆる次元のあらゆるベクトルの総和を一挙に把握する
そして同時に各々のベクトルを尊重する

末梢と中枢という区別はくせものだが
末梢にこだわることは同時に一挙に中枢を把握することでもある
皮膚が中枢のニューロンとおそらく切っても切れない関係にあるように

それは他なるものを感受することのなかにある
それは自らの身体を感受することのなかにある




甲州 koshu (13), 2008

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いつもの出勤 
いつもの電車
いつもの車両のなかで
いつもの古革鞄をもった 
いつもの老人と
いつもの無言の再会
いつもの歩道橋を
いつもちがったように登る

今日は足の上昇運動に朝の滞った脳がさらに制御されて耳がよく働いた
今日は歩道橋の揺れは人数に比例して少なかった
今日は光が強くて空を見渡せなかった
今日は蝉の鳴き声がとても長くしていた
暑さが和らいだ

いつもの老人と明日は何か話してみようかとふと思えばそんな時間はないと思ったはつかの間
いつもの8時25分
いつものタイムカード
いつもちがった身体の庭




甲州 koshu (12), 2008

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今日楽器を弾いていて感じたことだが、例えばコントラバスにおいて、弓のもち方、指に弓があたる手の感触が変化するだけで、脳にあるとされる手の投射野、音と身体の動きが合わさりダイナミックな変化がおきる。楽器という一つの箱と弓という棒切れとの関係性を作ることその一点をとってみても、 その弓のもち方一つに、一生かかっても学ぶことができないほどの豊富さを感じる。

道具が大事なのは道具の方に向かって身体が開かれていくからである。では道具に頼ればよいかというとそうではない。その道具と匹敵する身体がなければつり合わない。だから特にはじめは先達の教えを要する。学ぶ過程で深い質、もっと先にあるものを求めることに何ら嘘はないが、道具こそすべてといってしまっては、道具との関係が持てない勘違いで終わることも多い。

代償として多くの犠牲を払ってきた科学技術の恩恵は計り知れないが、科学技術は便利さの追求にとどまることはもはやなく、あまりに肥大化すればリスクは大きい。道具はボタン一つか、複雑な脳の訓練を要する専門に極力分化しつつあって、今や技術との等身大の関係性はもちにくい。知らず知らずのうちに、技術との関係性を作る過程において、その過程がすでに大きなリスクである可能性も高い。だが、楽器を弾くという昔からの行為と、空からのハイテク戦闘機の弾丸が殺戮の果てに人間の死体が蒸散されるような出来事は少なくとも遠い。

現代、一部においてテクノロジーによって死が遠いものとなりつつある。この時代に楽器を弾くことの創造的役割の一つは、脳の、身体の制御のあり方を根本的にかえることのように思える。注意すべきは麻痺された身体をさらに麻痺させる手法と異なる方向で。いわば舞台装置を必要としない、音に身体が侵されるリスクの低い形で、日常的な、直接的な、地道なあり方で楽器を弾く。それは、身体が心の鏡としての有機的身体であること、人間が有限であること、そして、音を媒介として人と人の間に広がりがあるという原点を身体で感受できる手法の一つである。見かけの古さ新しさではなく、人間がその環境下でよりよく生きるために必要なことは何かということがやはり大事である。


休みの今日、ほとんど一日中楽器を弾いて、その都度身体の更新をしていた。そしてその休みの間に少なくとも5回程度はこの文章を少しずつ更新した。何かを思考しようとして書き付けるのは、もとより疲労する面もあるし、全うな思考など無論ありえないが、書かなければならないと思うことも多い。だが、そういうことより、始めたことをズレと反復のなかで続けてみることの方が大事だ。そして身体も脳もできるだけ等しく使い、そして心を休ませるのだ。




甲州 koshu (11), 2008

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光ー時間
ポール・ヴィリリオ

相対性理論ー不確定性原理
超ヒモ理論ー多次元論
再生医療ー遠隔医療

世界に絶対的時空間はもうない
身体から離れ膨張した「私」はすでに宇宙を浮遊している
そしてその「私」はもはや瞬間のなかにしか生きることはできない

科学を脳のなかにおしこめず、血の通った人間のなかに取り戻す
瞬間を神とせず、隔絶された身体性を瞬間のなかに取り戻す




甲州 koshu (10), 2008

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今日は、三絃奏者の故・高田和子さんのことを、私がここに書かせていただくことを高田さんにお許しいただければと思いながら、思い切るように書き始めたいと思います。

コントラバス奏者の斎藤徹さんの今日のブログに、昨日7月18日に一周忌を迎えられた三絃奏者の高田和子さんの一周忌のお墓参りのことが記されている。いつだったか斎藤さんの小さなライブに妻と行ったとき、高田さんも客席におみえになっていて、本当に一度だけ、お会いしたことがあった。そのとき光栄にも斎藤さんからご紹介をいただき、ご本人とお話しさせていただいた。 その後、高田さんの演奏はお聴きすることがなかったが、 そのときのその和服のお姿とその声、お話のされ方は強い印象をもって私の心に刻まれた。

昨年夏に高田さんはおなくなりになられた。私は高田さんがなくなられた病院と同じ病院にたまたま、週に一回勤務していたのだが、いろいろな思いが錯綜し、多忙であることを理由に、お見舞いすら行くことができないままだった。昨年、その後、高田和子さんを偲ぶ音楽会が渋谷であり(斎藤さんや高橋悠治さん、その他、高田さんときっとゆかりのある方々が演奏された)、一度お会いしお話しさせていただいた時の強い印象をもちながらも、私の勇気のなさからお見舞いにすら伺うことができなかった悔恨を持ち続けていたこともあって、一緒に時を過ごしたいと妻と二人で聴衆として参加させていただいた。そのとき最後に高田さんの演奏を撮影したフィルムが上映された。そのときはじめて、高田さんの演奏されている姿と、私は対面させていただいた。高田さんの演奏の真摯さと説得力は本当にすさまじいもので、言葉をそしてまぎれもなく時空を超えていた。今でも言葉がほとんど見当たらない。私はこの演奏会で本当に心から教えられた。何を教えられたかといえば、「生き切るとはいかなることか」ということだろうと思う。

昨年、私は久しぶりに写真展とコントラバス演奏を行った。斎藤さんにこれ以上ないというくらいの多くの有意義なアドバイスを頂いた。波はあったが日に日に私なりに演奏がよくなっていった。今にしてみると、その影に、さらに高田和子さんのあのフィルムの影が身体にしみ込む過程を踏んでいたのだと思う。

昨日は高田さんの一周忌と知り、私は偶然にもその日に妻との結婚10周年を迎えた。家の近くのバーで夜中の4時までいた。店主は最後に10年経った最高のワインをおごってくださり、もてなしてくださった。そのきっかけがスペインの作曲家モンポウだった。最後になにもリクエストした訳ではないのだが、店主はモンポウの演奏によるモンポウをかけた。斎藤さんが高橋悠治さんのモンポウ集が染みる日だったとお書きになっていたが、偶然なのだろうか。命日と日が重なったことも偶然と思わずともよい。これまでのことが様々によみがえる。そしてそのとき、ふとモンポウについて書いている哲学者のジャンケレヴィッチが思い起こされた。私はジャンケレヴィッチの「死とはなにか」という本をよく読んできた。最近もまたひも解いていた。死を考えおかずして、一人の他者の死に向かい合う心の準備ができないからだろう。眼の前の他者の死への過程は私の内心を動揺させる。だからこそ考えなければならない。会うということは大事なのだ。だが思いが充満しすぎて会えないこともあると自分を慰める以外にない。そのバーでのモンポウの音楽は、 高田さんのことを思い起こさせた。今年私たちはスペインに行く。

たった一度だけお会いした私にとっての高田さんだが、どなたかに叱られることを恐れずに書けば、今、高田さんの音とお姿は私のなかに生きているとさえ感じることがある。高田さんという一人の演奏者を通じて私のなかに生じた出来事、それこそが音楽なのだろうと、そのように今、思う。その出来事はあまりにも、思えば思うほどにあまりにも広く深く私を豊かにさせる。

人間の生と死の音と音楽がのりうつって聴こえてくる、本当に何ということだろう。


何となく寝付けずに、上のことを書かせていただいた次の日(7/20)の朝、高橋悠治さんのモンポウの録音を再び聴いた。手元にある高田さんを偲ぶ演奏会でいただいたCD「鳥も使いか」を次に私が聴くことができる、そして聴かなければならない日はいつになるだろうか。決して予測できない時間とともにある未来を大事に今を生きなければならない。




甲州 koshu (9), 2008

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日仏会館で映画「デリダ、異境から」ジャック・デリダ+サファー・ファティを観る。二人の著書「言葉を撮る」(青土社同DVD付)日本語訳出版にあわせて催された。

デリダの著書をひも解くよりも、デリダが役者として哲学を語る姿と声を聴くことのなかにその本質、そして思想を超え出てくるものが圧倒的にあらわれていた点で引込まれた。 映像に脱帽し、 どのようにしてこの映画が可能だったのかその過程を想像し、満月と満月を映す外堀の水面をみた。

同書中「すべての前線で回す」(サファー・ファティ)最後の箇所から

 われわれは時間をかけた。映画の時間を。(中略)直観は、廃墟の忘却、暗い日中、誤解、そして翌日の恐怖の中で模索する何ものかを掠める。直観は時々、いまだ黙した、しかし声にならんとしているあの噂に触れる。時々あの約束の微光を受け止めるのだ。常に常に「目を閉じて見よ」。目を閉じて誰を、あるいは何を見るのか?フィクションでしかありえない真なるものを、夜の本質の光を、常に他者である私を、「異境の脇に」を、nonしか言えないouiを、忘却に身を委ねる記憶の記憶を、そして海を。忘却の構図、記憶の言葉と再開、リズムと奥行き、噂と浜辺、そして常に彼方。
 異境の声、その記憶はあったものの赤熱を呟く。それは私に常に届くあの騒音の激高を鎮めたのであろう。そして抹消した、そして抹消した。それらは自らの法を、残余物の法を作品化したのである。




甲州 koshu (8), 2008

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音楽が音楽であるように私が私であるように
音があるように私があるように
生きることができるか

 私がある
 音楽を求めようとする私
 音楽を求める私
 音楽を奏でる私
 私が音楽になろうとする
 私が音楽になる
 音楽が私にくる
 音楽が音楽である
 私が私である
 私は私である
 音楽は音楽である
 私はない
 私が音楽である音楽が私である
 音がある私がある
 音楽が私である私が音楽である
 私がある音がある




甲州 koshu (7), 2008

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「アール・ブリュット/交差する魂」展(松下電工夕留ミュージアム)へ足を運ぶ。
戸來貴規さんが書いた幾何学模様のような紙の束があった。

一千枚以上もの紙の束。
一枚一枚の図柄は、白と黒の不規則なようでいて規則的なようでいて、線と面が複雑に絡み合う。

それらは彼の日記なのだという。
そして過去10年以上の彼の日記は、破棄されていて存在しないという。





 




甲州 koshu (6), 2008

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心を空しくする
意思がある

それらの波長が
出会うとき出会う場で
波のなかから
ほどなくして
ここにもあそこにもない音が
眼の前にあらわれる

ざわめく音の風景に
人の影がみえる

あさの夢のなかの
あの創造に満ちた
濁った言葉は
もうここにない

濁りがにごったまま透明になる瞬間
覚醒とともにきえた風景と音楽




甲州 koshu (5), 2008

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テーマ性から距離をおく

身体ーカメラー光景 
光景ーカメラー身体
身体ー写真 
写真ー身体

相互に織りなす時空間に開かれる場所にたつ





甲州 koshu (4), 2008

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アブラムシの心がわかると言った人がいた
さすがにそんなことはないだろうと思っていた

ある出来事のなかをとおりすぎるとき
瞬間が連続していくのがみえる

アブラムシの眼 蠅の眼 コンドルの眼 カメラの眼 私の眼
瞬間のみえ方は違う

蠅が一つの有機的身体なら
蠅にも心があるだろう

ノックアウトマウスを思うとき
彼らの恩恵に値することを私はしているか

今日において
新薬の開発過程と
新しい「美」の概念の創出過程とのあいだに
本質的な差異は見出せるか




甲州 koshu (3), 2008

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周囲が息づく
奥行きに開かれる
中心がなくなる
余白が生ずる
静寂へ 静寂のなかに 静寂から
動く気配
聴かれる音
視られるもの

あたりへ身体を入れるように
音をだすー身体の旋律
視て撮るー身体の構図

 だがその仮の言葉に身体がとらわれれば身体は閉じる
 ある概念の超克あるいは脱構築として概念化されることから遠ざかる
 にもかかわらず日々思考を放棄せずメモを綴りつづける
 身体の浮き沈みもまたそこにあらわれる
 近づき遠ざかりつつ反芻する
 理解を深め身体に心におろす




甲州 koshu (2), 2008

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音と写真ー外部性との瞬間的な出会いを担う

 日常とは外部性をかかえた現実そのものであり、内的に表象化されえない。
 外部へと内面の像が結ばれようとする意識を解き放つ過程において、外部の外部性を引き受ける。
 身体と心の変化に順応して、他者との関係をその都度生きたものへと更新する。




甲州 koshu, japan 2008

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身体のなかに生きてくる心の動き

身体を休ませてととのえ
心のセットポイントにむけて
心を空寂にする

なぜ私が、という意識と無意識が大きくなると
身体は、心は隠れてしまって
他人のそれと通うことができない

生きる辛さと不安を
身体と心で分かち合うには
どうしたらよいか




paris, france, 2007

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写真と音にもどってみると
どんな写真や音でもよい
ということではない

注意を払って
でも慎重にならず
大胆にでもなく

動きを止めないように
と意識すると
もう動きは止まってしまうから

音と写真のあとから
発見と感受がついてくるときには
すでにその音と写真は
もうそこにない

身体が心が知っていることを
そのままやればよい
それは何でもないこと
きっと単純なこと
それは意識せずとも
きっと知っている

これは身体の一つの訓練なのか
音を写真を自由にするための

だが果てしなく難しい
惰性の許されない
一瞬一瞬の状況に
我が身をおくことだから

音と写真が
偶然の一瞬一瞬だとしても
何ら不思議でないから
出会いは厳しい

やってはこぼれおちる
そのように
身体を
鍛錬する

この旅が終わりのない楽しみでもあるなら
きっとそこに投げ出してみてもよいだろう




東京 神楽坂(2) tokyo, 2008

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看護師、栄養師、薬剤師さんと4人で、仕事帰りにとても渋いイタリアン立ち飲み屋で飲んで語る。

それぞれに生きる徒労を抱えながら、患者さんのことを様々な側面から考えて、今の非常に厳しい医療現場について真剣に心している。真面目に語るということよりも、真面目さと不真面目さのあいだに見え隠れする真摯な姿勢。全く目立たないことではあるが、こういう方々と話をして、互いの立場を相互に尊重し、想像することの大切さを改めて思う。その相互関係のなかで、自分の持ち場をいかにまっとうするかということが、おそらく彼らの、そして私自身の根本的な課題としてある。

音楽や写真も、こうした関係性のなかに、具体的な意味、すなわち一つの身体性を帯びるのではないか。真摯な受け取り合いのなかにおいてこそ、音、そして凝集された光は、真に自由に生きることができる。両者はやはり、ある確実な倫理性、他の存在との真の関係性のなかから生ずるものなのではないか。

地位、権力の介入や肥大化した自己、あるいはすでに一般化したイメージや常識の枠の外で、思いもかけない新鮮さを帯びたものごとが生じる。それがそうであると気づかなくとも、それはすでに起こっている可能性もある。それらの生ずる前提には、人と人との本当の交流があり各々の生き方がある。

他者との新たな出会いの場において、いかに自己に密着しつつ、同時にいかに自己からはなれることができるか、そのことを再び思う。