出雲崎 izumozaki (18)2010
迷い込んだセセリ蝶は満員電車のなかで
なぜかイメージの悪い蛾と勘違いした野蛮な人間の手によって
殺されないために
自分が止まるべき人の肩に一時停泊することを知っている
セセリ蝶は止まって考える人を選ぶ
そんなセセリ蝶のように生きて行き着くことのない旅
戻ることのできない旅をしてきた流木の命
色の具合と肌触りは言いがたい言葉を放っていた
さまざまなものごとが複合し重なってひとつにならないまま
渾然とし一体とならないまま
世界はむかしもいまも続く
一つの抽象的で象徴的な何ものかに
縛られ吊るし上げられずに
正しい方向をいつもみつけられないまま
一つの時に止まってみる正なるものごとの直前
精神の運動の渦巻いた溜まりの発火する直前
未来の垣間見える現在をひきずっていくことで
以前は確かにあった、今ここにはみえない、だが今ここにもあるような
眼にみえない不安定な確からしさとともに
過去を未来に押し出していきながら
思想にしばられず、はやりすたりに影響されずに
それらとは確実に身体的な距離をおきながら
それでもいまここにある人間社会のなかに生きて
明日の未来を受け入れて
私は我が身を世界にようやく開いていくことができる
人間の内側において人間の意志のはたらきが
未来へと突入するとき
厳しい自然に削られ人災にやせて皮膚がむけても
待たれた意志こそが人間の身体として
確たる過去が現在を通じて
未来に変貌していく
未来が過去を確実に捉えるのは
現在がそうした過程によって生まれた未来であればこそ
道元のなかで最も気にかかる「有時」の捉え方は
精神の厳しい旅をし、ひとたびもとにかえればまったく違う姿が
そこにあること
少なくとも少しは、ずれていること
それが一千分の一秒のあいだでも起こっているということ
そうした精神的事実自体の発見を指していて
ものごとの形而上学的な真理を説いてはいないだろう
写真は私と世界のおおざっぱな時間を一瞬という時に
静かに細かく記録定着するだけではない
そこに意図されたもの
意図がむなしくも写されなかったものそして
意図を超えて否応なく写されたものの痕跡の
内部の聴こえない声が持続した生命として
流木のように生き延び
一瞬という閉ざされた時がいずれ
全く別の世界に無限に解放されるときがくること
ユベルマンによって語られているアウシュビッツの写真は
そのことを私にいたくつきつける
写真はいかにものの声の変化を聴きとり聴き分けるか
それがどう写されるか、写っているか
どう未来をいまここに予知するか、予知されるか
数十分の一秒という現在ー未来の
瞬きの時間をどう捉えて未来を広く深く過去とするか
その過去を未来にどう与えるか
過去がどう広く深く未来に与えられるかであり
時間を一瞬に凝縮して写したもの
一瞬という短い時間のなかに動きながら写されたものによって
そこに動かされた時の光を感じながら
過去未来にわたって今という時代と対峙していくことであり
音楽における聴くことと奏でること
それらの根本的な態度に等しい
私はいま、それらをそのような価値のなかに信じなければならない
二つを通じてやっと断定的かつ暫定的に徐々によくよくわかってきたこと
言葉にできることはそれだけか、あまりにも大雑把で些細な表現だが
今のところそういうところに尽きる
出雲崎 izumozaki (17)2010
ヤマトシジミの銀青色の
幻想のはばたきが
現実を掠めとり
霧もやが晴れかかった
澄んだ空気を裂いて
一筋の弧を描く流体のように
ゼフィルス
西風の蝶のように
よろめきながら舞い上がっていった
その新鮮で無垢な驚きから
音をだした
旋律のように一時なったが旋律にしばられない
音が旋律を目的とせず
そういう音の動きであるとき
瞬時のひらめきと
場すらが設定されない偶然の動きの中で
いま生まれるとき
再現のきかない
だが即興だけでもない
無垢のまま ー無垢に使役することはできないー無垢は無垢のままに無垢たれ
時間の影にしたがって
時は不意にあらわれて
音は終わる
定着された音の記憶は
まるで写真のように
静止していた
ゴマダラカミキリは
顔を動かさず眼をとめたまま
時空を飛行する
自主的で礼節があり
微妙で活発な飛行の軌跡は
何も寄せ付けず個の飛行である
開かれた音の魂は
生体にとってのぶれない顔をもち
空間を浮遊し
木にとまり羽を休める
悪党のようにごつい装飾をした肢体のカミキリもそうして
遊ぶ目的のない遊びを
自発的に象っている
この偶然の目撃のなかに
写真の時間と音の時間の混在
その対話を見いだすとき
どの空間もどの時間も
切ってみればおのおのが個別でありながら
個別であることによって世界が繋がっていることが
いまここに示されるのを
ふたたび知る
微明の時空のなかの自発的旋律
音の写真的旋律は
チョウやカミキリムシの行動のごとく
まったく派手ではなく
ひっそりと埋まっているがゆえの
瞬時の輝きを放っている
生体の機械的運動における
肉体のずれの妙技に支えられて
ビオラダガンバのしばらく放置された鉄線の共鳴弦の不均等な残響にも似て
楽器という高度で複雑な肉体的機械の内側から
自発的に今日の世界を指し示す
ガンバの共鳴弦にたよらず
自らの肉体からそうした音を出すための
肉体の技術的訓練と修行がいる
もうずっと前からそのことだけをやろうとして
そういう時間がずっと自覚的にも無自覚的にもすぎていった
そうやっていずれ自分も死んでいくだろう
だがそういうことに死ぬまで魅せられているだろう
私という何らかの生体の軸の
決して決まらない変相と変奏によって
私は今日ここに生きて
いまここに生き返っている
出雲崎 izumozaki (16)2010
連休に車で東京に帰った
高速道路もそうだが首都高からみえる巨大ビル群が
今回もまたほんとうに異様に映る
都会もさらに退廃しているようにみえた
何かがすごいスピードでうすまってしまっている気配だ
だが東京のいいところは飲屋街と路地のざわめきのなかにまだあって
さがせば人間の濃い感覚がのこっているようにも感じるが
いい店はどんどん潰れているようだ
戦後は金がもはや権力をこえて宗教と化して
国というものと一体化し
怪奇な教条のようなものによって
人間の自発性がいまだに覆われているように思える
これほど大きな天災がおこって
これほど大きな原発事故がおこっても
妄信から目覚めない
いん石の一つでも都会に落ちてこなければ
本当には目覚めないのだろうか
それもSFやたとえ話ではすまない現実の話だという
東京では久々に旧友との再会
音楽やら写真やら雑多に話してとても楽しかった
機械にも魂が宿る
旧友がそういっていたのが耳の奥にいまも残る
出雲崎 izumozaki (15)2010
色の変化する緑の木々と流れのとまらない川に囲まれて、幸せな生活をいましているとおもう。すぐ近くの小さい釣り店ではカブトムシとクワガタが売っている。
そんななか、ユベルマンのアンジェリコのまえに、アウシュビッツのイメージ論を少しずつ読むことになった。手に取って読み始めてしまったからどうしようもない。読みたくない心理に反するように、どんどん眼が字をおっていく現実がある。 和訳は読むのが難しいが、引き込まれる。そして夜には何かしらの悪夢のようなものをみる。朝は多少辛い感じもあるけれど、それでも、読んだ先がその日の某かの未来の出来事のなかにあるような不思議な感じにおちいる。仕事にもなぜか身体の底から粘りのような力がわいて出る。
「イメージとはもはやいうまでもなく希望の別名にほかならない」とする田中純(この人に大学でドイツ語を教わっていたことがあって懐かしかった)の本の帯の解説も、いつになく読みやすいし自分にもよくわかる。ユベルマンは無論、精密で大胆な大思索家だが、着想と結論への方向性は自分の求めているものと似ているという感じもしている。
論理は前提と結論の穴埋めをする方向を担うだけで、常に言葉の渦巻く人間の混沌があらゆる文章を支えている。ユベルマンもまた同じく文にすさまじい力がある。フーコーの「臨床医学の誕生」あの精読を課される論理の明晰の極みのようなすばらしい営為とは別な形、音のまえで広がるイメージ、その想像の力と似た形で論理が展開され、ひきずられて読むような感じがある。
こうして本を読んでいるその身体で、腕の痛みがだいぶとれてきたが、痛いときは左手で弓をもってひいたりした。楽器はもう、一音だけ弓を擦って弾いていればいいという感じがする。弓を二本もって弦をはじくように弾くのもおもしろい。間と音色だけ。楽器と弓と自分の腕にのっかる身体。
手がうまくつかえなくて、足に意識がいったために、荘子に書いてあるように床に着く足の着地のあり方が演奏に大事だともわかってきた。間というのも音と音のあいだということではなく息の流れの間合いに近くなった気もする。まわりの静けさと自然の変化があるからこそ、こういうことができるのであるとわかる。ジャコメッティが立体が面に、面が線に、線が点に、彼の行為の方法と重なるようにも思う。
この弾き方やり方だけは、自分にとってもう変わらない基本的な態度かもしれないとわかりつつあるし、こういうことは、ーアウシュビッツからもぎ取られた4枚の写真ーそのイメージの行方ー そういった重い話題を考えていてさえも、無理なく臆することなく弾くことができる。ほとんど可能性のないほどの絶対的な絶望的な淵、それも外部を契機とした淵において、場が生まれ変わるための行為。
自分が何かの音楽をやりたいという感じがどんどんうすれている。音を通じて私になりたいのか、音を通じて他になりたいのか、そのあいだで、聞こえない音が聴こえてくる、そういう音がどこからかもれて聞こえる音となって変化している、それによって別な何かが聴こえる。
無意味な音のもたらす意味作用ともいえるその繰り返しと差異が微明のなかにあるだけ。その音がある言葉の感触を導くように音が言葉につながる通路の中をうろうろ動いているだけ。それでも、それだけでいいという確信が私の内部にいまある。その行為はあらかじめ目的のない意味を生む可能性があり、そのためにこの一見何にもならない、どうしようもない行為があるからだ。
音を弾く行為が、あらかじめみえない可能性に常に身体をかける行為であること。たとえ可能性の実体が未来においてみえないものであっても。写真がその痕跡であるために、世界のなかでそのときそこに立つこと。
分析的態度、学問の態度と大きく違うのはそこだろうか。 社会からあらかじめ隔離されているような場所の無意味な音が、人間を支える音となり、それが人間の社会を一つ一つ動かすことにつながるかもしれないものと思う。写真の一枚の痕跡、その生きた力は、写真家がそのときそこにいた、だが写真には写されていない写真家の死をかけた身体、楠本亜紀がブレッソン論で書いたような「不在の一点」のうちにあるのだろうと思う。
こういう行為は何の商品価値をもともと求めたものではありえないし、今のように生き方が多様で情報にあふれすぎた時代、教祖のように唱えふるまうこともあまりにも荒唐無稽だが、創造とまではいかないにしても、消費や布教とは異なる行為、生のエネルギーから生きる為の何かを産出する一個人の行為であるにちがいない。仕事ー趣味ということとも全く違う。
医者という臨床の行為もまた同じくあるべきであり、社会的行為としてみればいろいろ難しい面があるが、本来的には臨床の場におけるふるまいもそういう何だかわからない領域の、「生の可能性にかける」ような、突き動かされる何ものかによって支えられなければならない。それは決して感情ということだけではない。医学的知識もそうしたふるまいのなかではじめて本当の価値が生じるものだろうと、思いを新たにしている。
地震後も、こういう自分自身の世界への態度は変わらないようにみえるのだが、それがより自分にとって大事な、ゆるぎのない視点として深まっているのではないかと感じられるのは、せめてもの救いであり、自分にとっての希望でありうるかもしれない。行為することへのぼやけていた霧も晴れてきたようにおもうし、甚大な量の放射線物質漏れという受け入れがたい物質的世界の変化もあるが、自然と人間のトータルな世界のあり方と価値の場所が明らかに変化した。
最後にそんな変化を直視できない政治のレベルは低くなる一方だし、少なくとも一部の政治家の人間性は確実に、あまりにも恐ろしいほど低く、政治の怠慢もいち早くやめてほしい、そうした政治家を選んで結果的に野放しに容認してきた責任もあるが、それ以上に想像を絶するほどの非人道さをもって国民を裏切り続ける犯罪的ともいえる政治的陰謀と政治的怠慢、こんな悲惨なことが目の前でおこっているのに、一体なぜなのか、これまででもかという大企業との癒着、視野の狭すぎる経済偏重主義はいったい何なのか、政治は裏切られるもの、政治に期待しないといっても、このむなしさをむなしさのままにしてもいられない、こうした政治というものがなぜこのままに許されてきたのか、問い続けるべきだ。こうしたことを考えだすと、医療も、あるいはいろんな分野の構造もまた似ているのに気づく。つまりは足もとからすべてを見直す契機とするべきだ。
出雲崎 izumozaki (14)2010
保育園の七夕の願いごとが風に吹かれてゆれていた
健やかに育ちますように
楽しい2歳が過ごせますように
子供たちがみんな元気で暮らせる世の中になりますように
きれいな海と大地がもどりますように
苦難が知らず知らずふりかかってきても
子供はそれぞれすべてを正確に感じながら
素晴らしい夢
みえない世界のなかを
生き生きと生きている
たとえばそんなふうにいつもいつも
心底おもっていられるような身体になって
知っているようで知らないような隣人に
いつもいつも接していられるだろうか
そのためには
そのつどそのつど
ことの始まりにかえって
ごく普通で豊かな自然の態度で
少しでも時をわかつ感じをもって
話をする、しない
その人といたという感触が
わずかでもその場にのこるように
繰り返し繰り返し
ある振幅のなかの
だが変化に富んだ
身体の受けこなしを
もらい与えながら
続けられるかどうか
そうやって日々を生きているのだけれど
繰り返し繰り返してもあるとき
出会うことのできた一千人のなかの
たった一人との出会いが
続けて育ててきた何かとの別れ
一人との出会いが
すべてをはじめからやり直させる
それでもそうやって
その次の見知らぬ隣人と
深く接することができる
そしてまた一千人と出会い
また一人といつか出会う
そうして継続して育て上げられるような
決してみえないものが
いったいどんなものか
私には想像できないでいる
こうして書いているだけでは何も形に残らないのだが
毎日たくさん書いているカルテは記録であり臨床の場そのものではない
だが書いたものの見返しによって肌の症状の記憶の肌理が蘇生する
その繰り返しまた繰り返し
決して聴こえない音楽がそのとき、ある音楽を導き
決して撮られない写真がそこで、ある写真を導く
そういう感触、記憶の肌理の出来事について
最近はずっと思っているようだ
クレーはその決してみえないものをみえるようにすることを重んじたという
彼の作品はすべて過程のなかにあるということだ
出雲崎 izumozaki (13)2010
ディディ=ユベルマンがフラ・アンジェリコについて論じていると思われる「神秘神学と絵画表現」という絶版本を注文する決心をして読もうと思っている。毎日たいへんたくさんで、集中できる時間も余裕もないのだが、楽しみである。
「アウラ・ヒステリカ」やジャコメッティも論じているユベルマンが、フラ・アンジェリコについて書いていて、さらにその翻訳があるとは知らず、ちょっと驚いてわくわくしながらいる。これにともなってベンヤミンもまた読まなくてはいけないだろうと思われる。
イメージということについて何となく思っていたのも、フラ・アンジェリコが何となくそうさせたような気がするし、アンジェリコに思いが至ったのは、この腕の痛みのためである(一時間かけて通っている歯科でも手術をうけたばかりだった)。
ユベルマンは「イメージ、それでもなお」を著している。これはすでに家にあるのだが、話題が重く気が進まずまだ読んでいなかった。震災をうけ、我が国の政治への忸怩たる思いと、自らの社会責任ということを重ねて読まなくてはいけないだろう。この心の動きは、自分にまつわるここのところの事象が連関された当然の成り行きといってもよいのかもしれない。
しばらくまずはアンジェリコを通じて、これを契機にユベルマンの翻訳されたものもできれば読んでみたい。ちょうどフォトグラファーズ・ギャラリーの雑誌の今回のものが彼の特集のような形になっているようで、ユベルマン自身の著作の翻訳ものっているようなのでこれも一読してみたいのだが、すべて、徐々に徐々に読んでいくしかない。
出雲崎 izumozak(12)2010
夏でずいぶんあつい
あつさで痛みがまぎれるほど
虫がたくさんあらわれるようになった
カタツムリやトンボや蝶やゾウムシを一日のうちに発見できるのはうれしい
蚊とかゴキブリとかムカデとかミミズとかもその数の多さと繁殖力はご多分に漏れない
それでも蝶の道を遮るように道路があって思わずブレーキをふむこともある
人間が環境に与える影響の大きさ
そういう実感に少しふれて
自然が見かけ上は回復しつつあるというチェルノブイリの今を調べてみたくなった
いろいろな事実らしきことを知っていきながら
チェルノブイリ事故後の自然の驚異のようなものに感化されて
昨晩たくさん書いてみたが無駄だった
気づいたら生物学的手法と差別の問題とか
政治的な既得権益と差別の問題とか
人間自体のかかえている欺瞞のようなものが否応なくみえてきて
それだけで疲弊して結局途方に暮れたのだ
わかっていないことを考えることはやはり難しいが
それでも人は何か確かなものを求めて探していく
想像しイメージすることがひとつの希望の形だとしても
ゼノンの矢ではないが
自然の運動自体にイメージや分析は追いつかない
そういうことを自分が昨晩感じていたようだった
人間は自然を外側から客観視することはできない
最後にはどうしようもなくなって
巨大な博物学者、南方熊楠をおもいだして
自分がまがりなりにもずいぶん熱中してまじめに書いたものにあきれ果てて
すべて消去してしまった
熊楠ならいま人間がすべきことは何というだろうか
熊楠の飼っていたカメは最近まで生きていたらしいのだが
カメにきくことももうできない
希望は
自らの責任をはたすことから
自ら生むしかない
そして隣人を愛して話をよく聴くことだ
そうしたことによって生まれる力は
なかなかいいものではないのだろうか
日本はそういうこと
自らの生き方を自ら自身で本当に獲得するということを
少なくとも戦後において本当にしたことがあったか
腕の痛みは自らの責任で働いた証だから
昔とはひと味もふた味も違って
この身体が自然に受け入れることができている
私はいま私の責任を果たすべく仕事をしている、と思う
そのことだけは実感があって信じることができる、と思っているのだが
知の巨人、加藤周一が言っているように
自らの信念など信じるにたらないものだ
だけれどもこういうときに大事なのは
同じく氏の言葉を借りていえば
現実主義よりも理想主義
戦車よりも言葉
だが戦車は黒すぎてみえない
思惑が思惑を呼び
どんな確からしい情報にも懐疑的にならざるをえないのなら
そういう理想(批判も含めた)を何らかの形において含んだ言葉こそが
真の力を持ち得るのではないだろうか
政治的権力がなくとも
何の脈絡もない横方向のそうした力のつながりが
総体として社会を徐々につくり変えることも
もしかすると可能なのかもしれないと思いながら
現実を生きて試みることしかない
こうしたことと同じ位相の行為として
自分の部屋を深く覗き込むこと
いまは少し道元から脇へはなれてジャコメッティをみなおし
かなり気になってきたフラ・アンジェリコのまわりを精神的に訪ねてみること
そういうことが社会的現実にみえない形で大きく寄与するのを私はよく知っているのだから
そうしなくてはいけない
ここにおいてはイメージを自ら育てそれを再考していくという一つの責任の形が
現実にあらわとなる希望の形そのものとなりうる
たとえばこうした意味において写真をとらえるなら
過去を写した写真も未来への運動としての可能性を大きく秘めているのではないか
社会という人間にとっての自然運動
イメージ(あるいは写真であり想像力あるいは音そのもの)としての希望が
その運動の大きな端緒でありうるということかもしれない
出雲崎 izumozaki (11)2010
ここのところのずいぶんな疲労で、右腕と右手が言うことをきかなくなっていった。ずいぶん不安だったが、思った以上に焦ることもなかった。
どうしても必要なカルテ書きもやっとで、楽器を弾くこともできず、デジタルカメラのシャッターもままならず、車ものそのそと運転して、ワープロも打てないと言ったら大袈裟なんだろうか。だが何も機能を果たせない右腕はその存在の重みをあらわにする。
生活するのになくてはならなくなっているという存在の重みと、社会的役割としての重み、表現する手としての重み、そして生身の身体としての存在の重み。絶対に休ませなくてはいけないという割り切りをもって、その重みがいつもより感じられるということはある面において心地よく、ためになることでもあるように思えた。
それでもこの腕から逃れるように昼休みにジャコメッティのことをまた何となく思っていた。彼の彫刻が小さいのは、ほうり出されたこの腕の骨のように、存在を剝ぎ取った最終的な形、その骨格なのではなく、彼が現実を現実として忠実に求めていった時、それが実際あまりに遠い、それで彫刻があんなに最後には小さくなったのではないかと一つには思った。
もう一つには、彼が好きだと言っていたジオットを思い出した。ジオットは、はじめて神の世界を神の側にたって描くのではなく、人間の側に立って描いた。それがあまりに現実感を帯びていたため、当時の人間は彼の絵の方がこの世界だと本気で思っていたというほど本質的に革新的だったのだ。ルネサンスの始まりはジオットにあるともいわれる。今は人間の邪悪な世界、その罪を自然の世界から眺めてみるべきだろうか。
さらにジオットから連想して、かつて訪れたフィレンツェで最も感動したものの一つ、フラ・アンジェリコの「受胎告知」の絵を思い出していた。ほんとかどうか、フラ・アンジェリコは加筆修正を絶対に加えなかったらしい。フレスコ画という技法的なこともあるらしいが、絵画は彼にとって表現ではなかったのだと思う。同様にシュールレアリズムをついに脱退したジャコメッティにとっての彫刻もやはり表現ではなかった。
もしこの利き手である右手が使えないのならば、表現しないということにはいいかもしれない。それは右手があっても表現しないということがいかに難しいかということであるから、フラ・アンジェリコは本当に偉大な画家だと思った。同時に、右手がなくても絶対に表現するという人間もまた偉大な抵抗者であるだろうと思う。
ここまできてワープロうちもそうは苦でなくなってきたのは、喜ぶべきこと。それでも腕の違和感からか、ぼんやりとだらしがなく、ムカデに刺されそうな夜。
出雲崎 izumozaki(10)2010
サルトルの「嘔吐」の状態、意識が剥奪された末に生ずる裸の世界なのではなく、精神病理学的に離人症という状態とは逆の状況なのだが、それでも世界が非常に遠くかけ離れたものとしてある状態、そういう状態がむしろ今の確たる手応えとしての感じに近い。それが逆説的にも世界を間近に呼び寄せるのだ。腐葉土をにぎったあの感覚を再び思い起こすなら、こうしたことだろう。
ライブで何かをみて聴いたりすることの現実感は、一瞬たりとも眼をそらさずに耳を傾けて聴くというより、その場でおこっていることが自分と非常に遠くかけ離れたものになっていくことのなかに、逆説的に何か間近なものが内部に引き寄せられていくという感覚としてある。そういうライブはよい。
写真展や写真集をみてもいいものはそのような感じになっている。おこっていることを分析して、いちいち自分の中で評価することもできるが、そういうことではない次元で生じていることのなかに間近な感覚がある。そういうところでは何ともならないある流れ、自己と世界が一致するような境界領域の運動を、少しでも聴くことができると嬉しい。即興演奏であっても作曲であってもそれは関係ないだろう。即興にもいつまでたっても浅い自分ばかりを出して、このいまある世界を感じさせないような、せっかく即興をしているのにくだらないものはいくらでもあるようだ。かつて自分もそうだった。
抽象的なことしかいえないが、いまここにいる私の身体の内奥に存在する襞のような境界の向こう側に外側の音や世界の現実が隠れている。それは実際みえないし聴こえないのだが、私はそれを見て聴いているのだ。眼が見えずとも音が聴こえずともそれを見たり聴いたりすることは、はっきりと可能だということだ。眼が見えるとか音が聴こえるということは、幻聴や幻覚で片付けられない、大森正藏がいっていたように、空気の波動と耳の関係や光と脳の関係でもない。夢の中で見るものや聴こえるもの ーそれは本当に具体的な音として聴こえるー 、内奥の襞の動きがもたらすもの ークレーの絵を思い起こさせるようなー その向こう側にある世界は、反転するように外側の世界でもある。外側の世界から波動として聴こえる音や外側の世界から身体に飛び込んでくる眼に見える世界との接点は、そういうところにある。
だが、こういういい方も結局は駄目だ。悠長に書いている間に瞬く間に消え去るもの。覚醒の連続体。 道元の「有時」という段がわかりそうでわからない、だけれどかろうじて何かが喉にひっかかりつづけるような、答えのなさが導く研澄まされた感覚の連続。
そういう「感じ」は、内奥の世界が非常に近く、それを裏返したところに生じている外側の世界が非常に遠い、あるいは世界が絶対的に遠いということによってこの身体の感覚があるからだといったら、これは単なる私の主観だろうか。そうでもないように感じる。外側の世界を写真に撮るという行為は私が選ぶのではなく、内奥の世界と外側の世界が襞の表裏で一致する行為なのではないか、その襞の裏面の運動が音であるなら、襞の表面において世界と私の間に生じた運動が一枚の写真ともいえる。
写真が時間を止めてなおかつ時を有するのは、その動く襞の残像がまさに写真であるからだ。音もまた同じく夢の中の音と、楽器を弾いて出た音の差異がなくなること、それが音の裏表であるとき、それは確たる音といいうるようだ。そうした音を出せるようにならなければ、楽器を弾いていていもやはりしっくりこない。その地点にたつには、練習して技術を磨くことよりも、そのことを無にするほどの感覚を深めていくことが必要であり、深めることによって多くをそこに語るのではなく、それは薄い襞そのものになっていくことだ。
都会での生活はあまりにも世界が近かった。閉じた世界のなかの現実感、それを現実とみてきた。その眼で写真を撮ってきたが、写し出されるものをみるとそれを常に超えていた。都会という人間の文明のなかで人工物の世界をみていた。人間が人間しかみることがなかった。あるいは人間の為の自然を見ることしかできなかった。
文明があってはじめて自然が意識されるということはあるにしても、人間の文明など遺伝子配列の微妙さと精巧さに比したら、文明とはあまりにも雑なものだ。仮の感覚を欠いた巨大なエネルギーをつくって、感覚ある微細な身体を壊している。それを批判的にみていくのは必要にしてもあまりにも易しいし、想像し創造していくことの方が遥かに難しい。写真も音も身体を壊すような欺瞞的な消費のエネルギーと化してしまうことあるが、そんなことは今や誰にでも容易にできてしまう。だがこの安易さではこの世界を生き延びられないだろう。それではあまりにも楽観的ではないのか。
自然のなかに立つことは自然のあまりの遠さを自分自身のなかに間近に直接的に見いだすことだ。それは自らの微細な感覚その動きのなかにこそある大きなエネルギーを、無自覚的に見いだすことであるから、それは踊りとなり、歌となり、仮面の装飾となり、土器の文様となったのであろう。原始の人々はすでに人間の生活の原型を始めていたとすれば、今に言う自然が近いどころか、自然が非常に遠かったはずだ。それだけ自分というものが自然に凄まじく近かった。このことによって自然に途方もない畏れを抱いていたのだと想像することができる。
それは夢の中から目覚める瞬間、あるいは入眠する瞬間ーその瞬間を常に生き続けるということでもある。絶対的な外側の世界から音がやってくるというような経験は同時に、内奥の音の発現そのものでもあるのだ。だからそういう音は説得力がある。私はこれまでそういう演奏はただの一回しかしたことがないが、確実にその感覚は覚えている。写真はどれがそういうものかまだわからない。物理的な音がきこえるきこえないに関わらずそこにある。弾いた音はもはや内奥の音と合致する。それは音であり、いわゆる音ではない。一枚の紙としての写真や物理的な音は、やはり何かの始まりとしての一つの契機に過ぎない。
このようにして写真がそこにあるということ、音を聴いていくということは、いわば世界の半分をみてきいているにすぎないのだが、その襞が運動し始めたとき、もう半分の世界が裏側で聴こえ始める。 連想してしまうのは今日の新聞で少し見たこの世にほとんどない反物質ーそれに対する物質とはいったい何だろうか。反物質を閉じ込めるとは一体何をしたのか。
さらに、以前から折に触れて思い起こしてきたジャコメッティーが、現実はあまりにも美しいといったその現実とは、襞の裏表を同じものとして彼が見て聴いていたからだろう。 その現実はこの上なく美しく、終わることがない。いってみればそれは時間の停止であり、時の流れである。時が流れ出したとき、その世界に終わりはない。さらに身体が動くだけ世界はいくつでもある。
私が今でも影響を受ける彼の「終わりなきパリ」は、裸形の実存の表現、視覚の肉体的現実というより、このような微細な感覚の運動そのエネルギーの去来、彼がその内部と外部の境界にある現実に微細に感じ取ったもの、彼は写真では現実のヴィジョンを捉えるには足らないと述べているし、写真とデッサンとは本質的に異なるものであるだろうが、むしろこの現在においては、このリトグラフをみる視覚の内部の襞が、私にとって写真のとりかたや見方に本質的な変質を迫る現実の良質なスケッチとみることもできなくはない。
出雲崎 izumozaki(9)2010
キーボードのドミソの和音が
いつにもまして
吐きたくなるほどきたなく聴こえる
勝手に何の脈絡もなく子供がならすキーボードの電子音の音の羅列の方が
はるかに興味深く聴こえる
一音のなかの揺らいだ微小変化から
ある境界面に浮上する音の輝きが
何かを指し示そうとしているのではなく
ある密度をもった音の重なりを背後に背負っていると感じられたとき
一音のなかにも和音のようなものがきこえだす
単に音と音の羅列とその組み合わせや
音の前後との関係ではとらえきれない動きが
ある自然の導いた流れのなかにある
そうした時間ではない時
一音の中の複数の音の重なりとでも言うべき
時の流れを感じていると
いまここにいることの苦も
苦でなくなってくるような身体になる
それはいうならば
その和音のようなもののなかに浮上した一切れの音の木片につかまり
押され流れていく先に
どこまでいってもみえる岸がないからだろうか
そうだとしても
岸がないとあきらめるように音が消えるのではなく
あきらめようとしたとき
まだあきらめきれてはいないように
たどりつく岸はないということ
そのこと自体に導かれるように動いていく
この音の命のようなものは
何を言おうとしているのだろうか
一音のなかにも複数の和音があり
倍音としての成分に分裂してからのちに重合されて聴かれてくるような音の塊や
音のふるまいを用いた言葉の比喩や政治的意味としてではなく
共鳴するものと共鳴しないものが
それもはっきりしない混沌にちかいなかにあるのだが
さらに複雑に共鳴し
斥け合って
まとまらずに
かといって分散もせずに
そこに多様な渦を巻いて
存在し続ける
それはまさに自然の様態とでもいったらよいのだろうか
これをノイズといってもいいのかもしれないが
人間が弾くという行為を通じた
今ここに生きる人間に課せられた
人間のノイズと自然のノイズが混沌とした場所といえばいいのか
それは恐ろしく不思議なほど静かだ
こうした音はやはりキーボードではでないと思うし
邪念が入ってはやはり聴こえてこないようなものなのだと思うが
おそらく傍目にはいつもと同じ行為をしているに過ぎなくとも
ふとその穴に入ると
自然が脅威なるものであっても
より密度濃く自然というもの
そしてその有り難さと人間の中の自然が深く感じられてきて
人間の罪のような根本が浮きぼりにされてくる
人間の苦は心の迷いがもたらしたものだというが
たどりつく岸がないということ
それが人間の原罪そのものだという根本を
音は言おうとしていたのかと想うと
これ以上何をいえばいいのか
今はこう書いていても
目覚めてみれば原罪などといって大袈裟な意味付けをしていた
あるいは音の主観的な判断に過ぎないのだろうか
だが原罪といったときそれは単なる意味でもないにちがいない
生きるということ死ぬということを想っても
知るということも知らないということも
迷うということも迷わないということも
それぞれ今の私にとっては辛いこと
そんな心なのではあるが
意味付けや判断だけで片付けられないものがやはり残る
早朝に目覚めるとかなりの雨でけだるいこともあるが
やはりこの残っている何かは大きい
そしてその残余のようなものはいま
この身体にとってとてつもなく大きいものとしてあるのだが
微細な音や日常の言葉にもうすでに宿っているという感じがする
写真の視線によって押され定着された何気ない光景のなかに
撮られたそのあとにのこった写真
写真の性質からして
どの写真にも否応なくそういう残余感や残像感のようなものはのこる
だが不意にあらわれた音の木片のように
おのずから写真が語りだすことはめったにないし
それを拾いだしたり表現しようとした果敢な行為のなかにも
かなりの作為を感じるから難しい
ふと撮られた写真のなか
それでもしっかりと撮っている写真のなかにそういう写真があると思うのだが
やはりそういうことはめったにないから
私にはなかなか経験の蓄積ができない
日頃何気なく使っている
たとえば挨拶する言葉とか子供の呼びかける生き生きとした声や
この雨音あるいは排尿の音のなかにすら
何かの重さを背負いつつ浮かんできた木片の肌触りを感じ取っていく
海と空気が接する場所に漂う木片を一つだけでも手に拾って
どこともわからない岸に寄せる迷える心をたよりにして
なるべく自分とむき合うように綴っていくことのなかにふと一枚の写真が選ばれてくる
そういうほうが大事なことではないか
そのような気もするし
そんなことをしているようにも思う
出雲崎 izumozaki(8)2010
音がなっているとき
音の粒の点滅こそ
生命の絶え間ない泡の輝き
音に託されたわからない何かが
流れる輝きの過ぎ去っていく痕跡なら
生命とは流れ流れていくものだ
固定されたものではなく
そもそも流れゆく
そこここに各々が点滅している命がなければ
音の点滅を聴くことも
音の消滅に感じ入ることもない
生きている事実の内側から
言葉が離れていくと
音はもはや音でなくなる
言葉が離れないように
言葉の始まりと音がひっついたままでいられるのは
私の外に私の内部があるとき
写真は止められた時間のなかで
止められた生命によって立体的に浮かび上がる
あの壮大な視覚空間と想像
言葉が生の言葉を突き放す場所
すでにそこにあるかのようにふるまっている
みえることがみえることを際限なくうながす宇宙
あの言葉の力による見え方
それをさらに超えていくこと
写真が時としての輝きをもつために
一瞬の記録のなかに潜んだ眼差しの奥に
時を含有している
何かの感触
他とつながる感じとともにあること
撮影者の眼差しのさらにとおくにあるものとともに
時間のとめられた写真のなかの
時の流れがあらわれるために
人間の態度
言葉の態度をかえる
流れ出した時間はどうしようもなく
とまらない
もはや時間は何時何分ではなく
決してとまらない時となったようだ
時間のないこの世で
時をさがす
はじまりもなく終わりもなく
終わりがはじまりのような時
写真がたった一枚そこにあれば
それだけで時のようなものが流れ出す
その感じはいったいどこから
事実とノスタルジー
犠牲によって消滅したものたちと いまここにあること
人間と機械
そのあいだのどこかの隙間からか
一枚の写真のなかにいることと音が途切れていないこと
目の前の写真から立ち去ることと音が止むこと
意志の言葉とそうでない言葉
生きることと生かされること
そのあいだのどこかの隙間から
ただよってくる何か
言葉の正体
ことばそのもの
時の母体をさがして
いまどこかをさまよっているようだ
おそらくもはや疑い様もなく
これまでで最悪の生物
人間のつくりだした
放射能あふれる原子炉のなかに思いがけず繁殖していた草の母体を
ミミズのようにさがしている呻き
出雲崎 izumozaki(7)2010
近くの古本屋で先日偶然みつけ、「日本写真全集/写真の幕開け」という本が気になって、買い求めてきてみたのだが、カバーをとって開いてみると、約百年前の三陸沖地震の津波直後の被害を写した一枚の写真がおさめられていた。撮影者不詳とされている。
今回の大地震後と似た、悲惨という言葉を超えた光景が印画紙に定着されている。きれいにプリントされた白黒の写真はノスタルジーのようなものを強く誘うが、この郷愁にも厳然とした意味がある。犠牲者が存在したという事実、そして過去が決して洗い流されないという事実がその裏に隠されているのだ。それが到底フィクションとはいえない事実であるというその感触、触覚感や聴覚にも似た原始的な器官のはたらきが、あるところでみることを凌いで、本当の郷愁、言葉では言い尽くすことのできない郷愁を誘う。郷愁は、単に感情的であるだけではない。
それは動物的な本能にも似て、猫の視線から猫の言いたいことを瞬時に感じ取るような、事実のいわば本能的把握なのだが、その事実が写真に定着されることによって、時間が停止し、瞬時にそこにあったはずの動物的本能がそれによって永遠の時間のなかに再び蘇生する。停止された時間の露出した一枚に、もう消えてしまったものが擬似的に宙に留められている、写真の郷愁はその一枚のなかを心が動くその動きの本能の痕跡が、再び身体を通じてその情動を揺さぶるものだ。
亡くなったものへの郷愁は、あくまでも、亡くなったという一瞬の消え去ったこの事実と裏腹にあって、その事実はいつも存在し続け、それは誰も決して消すことはできないという証、しかもそれは物質的な証だけではない、生物としての人間の生とその死の証なのであって、それが写真のひとつの大きな生命でもある。それは写真に何かを写し込ませた、そこにはいないそこに生きていた死者の存在の抵抗の一撃をみてもよい。
生きた音楽の音がなっている状態から消え去る瞬間へとむかい、その余韻からやってくるものともこの郷愁はよく似ているように思う。生き残った、そして死んでしまった被災者の命がけの声をどこかで聴くたびに、言葉を持った生物としての人間の生命とその死ということを本能的に感じ取り、言葉のあとで生じる何ともいい様のない何かに、どうしようもなく戦慄を覚え、我が身が震えるようなことも、この今というとき、しばしばある。
以前からこうしたものを感じとったとき、写真や音楽に言葉の解説や意味付けはいらないと思うときがあったことはあったのではあるが、いまはやはり、この一枚の百年前の写真を前にして想像をめぐらさずにはいられない。
人家も木々もなぎ倒され、船が陸地の内側で傾いていれば、転覆したような船もみえるし、遠くには煙のようなものもたちのぼっている光景が映し出されている。だがたった2本の木が、写真の端の方に生き残っているのがみえる。この木は今はやはりもうないだろうか。この日、二本の海岸沿いに生き残った木は、当時も希望を抱かせたに違いないと思うのだが、写真には一人の人も写されてはいない。ここにいるのはレンズのこちら側にいる撮影者だけだろうか。その視線が一つの通路となって、確固たる強いあの郷愁を帯びる形で、私の視線のなかに乗り移ってくるのだ。
となりの数ページには、これも百年前くらいにあったの愛岐震災後の写真が数枚のせらていた。これをみると、東北地方や原発事故の起きた福島からは比較的距離のある愛知県に住む私にとっても、今回のことは当然のごとく他人事ではないし、一人の医者としても、これほど大きな命に関わる問題は関係ない、あるいは自分を欺くようなでたらめな表現をして通っていくだけでは、決してすまされないということを改めて今日も思うのだ。私に書く資格があるかわからないが、ここまできて、今日はもっとさらに書かざるを得ない気持ちがしている。
人間がその思想によって所有し具現化してきた人間のための技術に、人間の存在そのものまでもが保証されているかのように人間が錯覚し、技術を我が物としてふるまうような近代の延長を色濃く反映したこの現実にも、事実上の限界がきていると感じる。それはいうまでもなく、西洋近代がどうかとか東洋思想がどうかとかの問題ではない。人間の幸福を何とするか、その何かのために何が大事であるかの問題だと思う。だが幸福はやはり言葉で定義できるものではないだろう。
そうならば、事故が起きたら扱えないような、おおよそ有機的生物としての総体としての身体とかけ離れた、人間のつくりだした技術を、世界に今後も保ち続け、さらに導入するべきかどうかということは、少なくとも人間の価値観と責任において決めることであるし、事態を少しでも修復するには、ほかならぬ人間の、謙虚な知恵が必要だ。検証することは従来のシステムを強固にするためにだけあるものではないだろう。システムを、有機的な生物総体としての生と離れたところにある新理論や異なるシステムで凌駕する時代は終わった。生きているという実感をもって、改めてこれから私も考えていかなければならない。
そして解決のおそらくできない技術的な問題に直面していながらも、人間が言葉という厄介なものをもった、他ならぬ生き物であるという点に立ち戻って、その場所に、本当に身体が目覚めなくてはいけない。死にさらされながらも、そうした身体から新しい言葉、生き方のあり方を模索しなければいけないようにも思う。
学問も世界水準ということよりも、あるいはむしろそのベクトルとは異なる方向で、そういうことをもはや今後は超越して、たとえば日本という極東の国であれば、目的をあやまった戦争や、自然災害や原発事故の経験を謙虚に生かして、新たに創造した価値観に基づいた学問のあり方をもつべき時が来ているのではないか。世界を世界基準でリードしようとするのではなく、たとえ漠然たる言い様のない淀んだ不安に苛まれていても、そのなかでもなおかつ、自らの真の幸福の為の契機としなくては、命を奪われた人々や被災地で生きている人々、そしてこれからの未来の人々に本当に申し訳が立たない。
たとえば人間が言葉をもった他ならぬ生物であるという強い自覚ぬきに、環境問題も生物多様性も意味をなさないのであるが、原発事故は、この嘘めいてはいるが大事な視点をも、さらにさらに現実的に遠ざけてしまった。これにみるように、世界、世界といいながらも、よくしてみればこれまでの人間の側ばかりにたった行為が根本から覆され、より世界の側によってたつというその契機を与えられたといえば、ほんの少しは何かがみえるだろうか。
人間がいまの言葉を持つ限り人間と世界が等しくなれないのなら、人間と世界とのあいだに、どのような距離をもつべきなのかを模索しなくてはならない。あるいは言葉のあり方そのものを変えなければならない。
こうした感触は地震の前から、少しずつあぶり出されるように、この世界に漂い始めていたように思うのだが、こんな大きな事態でも、身近な自然が本当のきっかけを与えた、そういうことを教えてくれたと思うようになることが、あと何十年か後の、少なくとも私のなかで、何らかの形としてもし叶うならば。
しかしながら、少なくともいまみえている権力者の言葉からは、その権力がなければもはや簡単にはできないような、未来の命を救うための大事な行為はおろか、その人間への態度、あるいは自らに対する態度すらにも、何の心もないように思える。そうであれば、 人間の側にすらたつことが全くできないのであれば、人間が世界の側にたつことなど到底できない、そこへの道はあまりにも遠い。
だがそれでもなお、負の遺産を抱えた未来に生きる人々にとって、今を今の個人個人がどう生きるかということは、切実な問題だ。今という現実が押し出す未来の夢の中に、誰がどのようにそこにみえるだろうか。これ以上、少なくともその心が、悲惨な未来であってはならないだろうと思う。
対物的な考え方も即物的な考え方も、単なる反省だけでも、それだけではもはや何も産生し得ない。それらをともに俯瞰したところ、それでいてなおかつ現実からかけ離れず、適切な距離、人間と世界の境界をどこらあたりにおくのかといった問いを発し、世界における人間のあり方を、生き残った者たちが、一人一人この不安のなかに模索し、この現実から、未来の想像しうる限りの幸福な姿を押し出していく時期なのではないだろうか。
私は未来は溶解しながらあらわれるというイメージをもっていたのだが、それは違っていた。未来は今のなかにあるこの動きが押し出すものといえばいいのか。その余韻がほうり出しほうり出された余韻が現実となるように、託すものが託されたものへと繋がらなければ行けない。被害による世代の絶対的な断絶は何ももたらさない。
人間は死ぬ時期を最後の最後まで本当には知らないから、この今を何とはなしに生きていけるのかもしれない。動物も植物もおそらく死ということを現実にはよく知らないように思える。だが、たとえそうだとしても、これからの未来の人間の苦難の軽減のために、一人一人の人間の意志によって、今なにができるのだろうか。
こういっている間に時は過ぎてゆく。だが、ほんとうに月並みな言葉の表現であっても、いまの私にとって長々と言葉にしていかなければいけない。自らの生物としての言葉の感覚と実感を歪まない形で、それをもっととりもどすために。言葉をかいて、これまでの言葉のあり方を自らたちきっていかなければいけない。それは言葉の形の問題ではない。言葉の想像力や言葉の表現力そしてその抵抗すら超えて、言葉の身体そのものの問題である。
言葉の主張に言葉をさらす為にではなく、言葉の批判に言葉をさらす為にでもなく、これからの人間への橋渡しをどのように、できうる最善な形でしていくか、そのために身体から発せられる言葉を書かなければいけない。それは生きている小さな自分を信じることでしかない。またそれは今、たとえ旋律がついていなくとも、どんなに長いくどくどしい文章であろうとも、ある祈りでもあり、ある歌でもありうるのだ。裏を返せばそれほど無意識によってかかっていた軸を失い意識が解放された、そういう自由な形で今、大きな何かが問われていると言い換えても、よいのだろうか。
再び写真をみてみると、一枚の写真はそこにあるだけで、静かにものを語っている。個人の物語ではなく、そこに定着された一瞬のなかに、そこに定着されなかった過去、現在、そして未来をもすべてをも想像させるかのごとく、そこにその写真がある、そういう写真は何十年経ったあとも、深く心に刻まれ、今をどうするか、今いかにあるのか、そのことを、契機として考えさせられるのだということを、はじめてこの身体が本当に経験しているのではないかと、今日感じている。
これから百年後のことをどう想像できるか。百年後この今はどう映っているのか。
出雲崎 izumozaki(6)2010
学問はいったい何の為にあるのだろうかと、どこか深くで自問している日々でもある。 心がいま苦しい。 学問というものは古今東西、各地で発生してきた「知恵」と言い換えても、本来はそう変わらないはずだ。
日本における学問的権威のような大学に、学生とあわせれば18年間もいたからだと思うが、学問とあえてここで言いたい。 学問の基本構造といった原理的な話ではないけれど、学問が純粋ないわば知恵を離れて、ある種の権威それも非常に狭い視野の権威と、ある種のシステムの内部の動きに癒着していることは、少なくとも一部において否めない事実だ。
学問が人が生きるのに役に立つためだとしたら、人を殺すような学問のあり方はいけない、だが現状を見る限り、その前提がそうではないということだ。そう思わざるを得ないのだが、本当にそうなのか、そうなのか、そうなのか、そんなもんだ、では到底すまない。
アリストテレスはたとえば生とは何か、死とは何かといったようなシンプルな命題に向かい、合目的性ということを強調していたように記憶している。勝手な解釈かもしれないが、アリストテレスの合目的性にならえば、それが一体何の為にあるのか、を問わない学問は学問と言えないと、私はあるときからいままで信念として思ってきた。科学的発見も今の科学の言葉の文脈だけでは到底語れない。
とくにその学問をする職業のなかにいるなら、いろんなことに対する想像力をもたなくてはいけない。1万人に一人が癌になるという統計的事実があったとしても、一度はその一人になってみて想像を働かせてみなければならない。そうすれば本当にいろんなことを考えなければならなくなる。少なくともそういう思いを保つこと。
病気の人をみていると、大袈裟に言えば学問としての「病気」の分析に比重がいって、その人の身になるということが難しくなっていく方向と、大袈裟に言えば個人の人生や尊厳としての「病人」に比重がいって、治療を緩和しつつ、その人の身にならなければいけないという方向とが同時に生まれる。両者は別に対立もしていないので、妥協というあり方ではなく、単純にとはいかないまでも、少なくともその場における最善の方法があるし、どちらも大事なこととしてある。
学問的成果といっているものが、そのときそのケースにおいて、かえって生きることに負担を強いるようなら、やはり勇気をもって撤退するべきだし、成果を適応した方がよりよく生きることにより寄与するなら、それを進めてよいだろうということであるはずが、権力や過度の欲望によって、権威付けとその保持のため、予算の獲得と個人の私腹のため、と言わんばかりの、一部の極度の不自由さから生じた、悪しきふくろ小路のなかで、学問の生命線自体が本当に激しく痛み、歪んでいく。それに知らぬ間に引きずられるように、より大多数の人間にとっての生きるための尊厳もずたずたに引き裂かれていく。こんなことはひどく悲しいことだ。
音楽が好きなのは、たぶん、音楽は身体的な魔力そのものであるし、未知なものに対する畏怖をそもそも備えているからだ。写真は現実を一瞬に凝縮して捉えては、それをじっくりとみることで、ふだんはみることのできない大事な何かを救い出してくれる。想像の力がそこに出現する。
わからないことはわからないと、いざというとき、自分に言いきかせることができるのは、世界のなかに感じている、そのような畏怖の念があるからだ。アインシュタインなど、彼の言い残したものを少し読むと、そうした世界に対する畏怖の念に満ちていたはずだ。いわゆる芸術だけの問題ではない。
いざというとき、わかっているようでも実はわからないような、境界にいるような場所から現実をみつめてみなければ、人間にとって何が大事であるか、本当にはわかってこない。 何もわからないというあり方のような、平地から新しい道をつくっていくのが学問の、人間の勇気というものだろう。わからないということが本当にわかるようにならなければ、そこに立ち戻ることができなければいけない。
わからないから何かできないというのではなく、わからないということを本当にわかり、わからないから、わからないということを、たとえば書いていくということのなかに待たれ、実感される、覚悟のようなもの、そうしたものを蓄えながら、勇気をもたなくてはいけないだろうと思う。何のために、いまここにあるのか。
出雲崎 izumozaki(5)2010
いい日和だが仕事を終えて家に帰ると 何とも言えない心地よい虚脱感とともにある
だが このあいだの大雨で 晴れない霧が晴れても 今度は黄砂が城をみえなくしている
黄砂がこなくなっても この眼がかすんで いつもの城はよくみえない
夜の霧の中を走る車のライトは何も照らさない そこにあったもとの道を照らすだけ
ジャンケレヴィッチがいったように 過ぎていく時は戻らない
そして延々とひたすら書いていかなければ 言葉は言葉を超えられない
黒い言葉の先には 何の色もみえない
だまし続けられて それがこれからずっとそうであっても
おこっていることは一つ
もののふるまい その事実と現象がただあるだけ
環境に慣れていくのが生き物
そうした当たり前のことを受け入れないような抵抗の意志
言葉という意志すら容易に麻痺していくものなのか
愚かすぎて不誠実で 人間の存在自体が井の中の蛙であることに自ら気づかなないまま
意志をゆがめていかないと 力が保てずまた力が持てない
そうした力によってでは 危機を脱することができない
ゆがめられた力によってゆがめられた力を制しても
何ももたらされない
生物にとっての生は一回限り 人間も飽和し死滅するまでが命
写真を撮っているとよく経験されるけれど 廃墟がときに美しくも感じられるのは
そこに植物が新たに芽生えてこようとする その力によって
風は
何も知らないかのようにふいて
木々は初夏の強い光のなかで
ひたすら音を立てて揺れている
ひたすらに
何も知らない風になることは
自分の知らないところで
自分の知らない
別な力を生む
そのとき風もまた
風がなにものかを知る
目覚める前の夢のなかで
音が旋律と一緒となって聴こえる
どこかで身体を通じて作用している
とどめることの
どうしてもできない胡蝶の夢
いくらそれがすばらしくて
いくらそのなかにずっと漂っていたくても
もう追いつくことができない忘却の彼方へと
音の夢は
目覚めとともに去る
音をつかみとりたいあこがれが
生きる喜びに通じている
そういう感触が
あの知らない風の力を
知らない場所で予感させている
過ぎ去った音の影
それはどこか
みえないところに
確かにある
残っている
この手という感触の上に
手を風にかざすだけで
その汗をかわかすだけで
意図されていなかった感触が消えるという感触のなかに
はじめて自覚されるそのとき もうそれはない
決して生まれない歌の
その影が
明日の夢のなかで
音となってみえているのだ
だがそれは
今日とどめられない
ずれのなかの錯綜した歌のふるまいは
固定されることなく延々と
風に揺れる木々の音のように
毎日違う形でくりかえされる
みえない歌きこえない歌という一つの響きのような
密林の伸縮からこぼれでた林の音
何かを待機するに足る身体になって やってくるものを本当にはとどめられないということを大事にしていくというその途上にあるならば 一回限りの行いがいかに尊いものか 私にも本当にわかってきたといえるのだろうか だがあくまでも道元は実践を説いている
出雲崎 izumozaki(4)2010
早朝に起きてしまったので、少しまた道元を読む。
井上ひさしさんが道元について触れた文章で、どこかでこんなようなことを書いていたように記憶しているが、言葉の保守性を打ち破るためには内的経験を書くしかなく、精神という名の劇場のなかでその心の、各々の特殊な具体性を帯びて綴っていくことだ。
そういう個性が、培ってきた社会性を一旦排して、特殊であればあるほど、個性を超えて広がりをもつ。没個性的なものから入ると逆に個性が浮き出る、おもしろいものだ。
社会を知っていきながらも、知れば知るほど、社会的に形成された言葉の通念(科学の言葉ももはやそれと似ているところがあると思うのだが)、 約束事のたちの悪いこの邪悪な人間の言葉を脱して、 社会の形成物ではない言葉の場所に、道元は結局のところ至らなくてはいけなかったのではないか。
当時の人間社会の厳しさと堕落さ加減を道元の言葉は裏付けているように思えてくるし、時折今の状況と重なって、道元も同じ一人の感情ある人間だったのだと思ったり、やはり切なくもなる。
道元にしかわからない、彼が絶対に言葉にしなければならなかったもの、その心の動揺と発見を綴った言葉を体験するということは、道元の心のなかにその難解な言葉を通じて分け入っていくことであり、その感動とか発見を私自身のなかの精神に呼び込んで、私自身の精神という畑を耕していくことだ。
道元自体が一つの理論、その運命を背負っている、理論自体が生死のように常に新しく生まれては死んでいく。道元を読む時、その言葉の運動にあとから追随する暇はないから、忙しく読むか、一文に一年あるいは一段に一生をかけるか、そのどちらかが道だ。
そうしてみると道元は伝えようとするということより、やはり発見をそこにとどめるために言葉を発しているように思える。自分にしかわからない言葉で、とどめなくてはならなかった。芭蕉の俳句とはまた違った言葉のあり方で。
他者を容易に受け入れようとしない言葉の厳しさ、そのあまりにも難解ではあるが透明の細胞膜のような場所を通じて、多くの他者の具体性と普遍性がともに透けてみえてこようとする。この言葉の運動はそれ自体がすごいものだ。
言葉の羅列、無意味のなかに浮かび上がるもの。言葉という襞の表裏。言葉のつくる空間がそこらじゅうに開け広がっている。時間すらも否定され、時間のない空間は、ゼロの発見が無限をもたらしたと同じく、そのまま時を超えて現在であり続ける。
音の襞をつくることにおいてもこのあり方はやはり示唆に富んでいるし、写真はそもそもが機械の写し出した世界の一枚の襞を平面にしてみせているようなものだから、当たり前すぎてかえって難しく扱いにくい。そこが写真のおもしろさでもある。道元は違うアプローチで同じところへ行くために十分な方法論を内包した言葉。しかも単なる言葉の羅列といってもおかしくないこの滑稽さ。
言葉の身体を通じて我が身にどうこの言葉を乗り移らせることができるか。技術の真似をしていてだんだんできるようになることもあるが、それだけではやはりそれにとらわれていて到達できない、深いところでの技術を超えた変化、個のいびつさが個のいびつさに繋がる場所、一つの大きな精神性のようなものを私は今、道元のなかに探し求めているのだ。
良寛から掘り起こされたとはいえ、たとえるなら、またしても一つの長い旅。老荘、ペソアのときもそうだったが、なぜ大事なきっかけがこういう文字や言葉なのか。好きな写真や音楽や医者の経験から大事な要件を抽出していく過程において、各々の分野の偉大な先達から学ぶことももちろんあるけれど、そうではない言葉の先達から大きなきっかけや示唆や発見のようなものが与えられ、それが自分の鏡となるのはなぜなのだろうか。たまたま今、道元が私にとって契機として都合が良かったにすぎないのではあるが、とにかく深くてしかも見方を変えればしごく浅いようでもあり、面白い。
朝は頭が働くように思える。夜は一日中他人と会話して精神を使い果たし、より没個性的になっているためか、個の活力がどうもないな。何かを書き留めるには朝、とりあえずでもパっと書いてしまうのがいいかもしれない。
出雲崎 izumozaki(3)2010
子供の子守唄をコントラバスで真似してとてもゆっくり弾いてみると
とんでもない哀しさがしまいには漂ってきた
明るい旋律なのにたとえば古いイギリス民謡などは
どうしてこんなにしみじみするのだろう
伝えられてきた歌の強さなんだろうか
作為なく少し感情を抑制して音の奴隷のようになって導かれながらも
子供の視点のようなぼけていて一点だけは鮮やかな色の視点を感じながら
音の状態を大事にしながら弾いてみると
常識的な世界にぽつりと開いている入り口
その穴のなかに入ってしまうこともある
先日大阪に中平卓馬さんの写真展をやっとのことでみにいったらそんな感じだった
その影響かわからないけれど
ずっと即興でひいたあとに子守唄の旋律になったのだった
その旋律のずれと繰り返しのなかに音がやんだとき
風に木が揺らぐ音がこれほどの密度の濃いものであったとは全く驚きだった
これまでにないような確かでそれにさわれるような
ざわめきと静けさのなかに満たされた
心と身体の満たされたところ
静寂に喜びが芽生えだす
春に草が芽を出す喜びと似ている
歌という哀しみと喜びはそんなところにあるのだろうか
さっきかけていたヴィラ・ロボスをじっと聴いたあとの静けさはこんな感じかもしれない
複雑で深くて透明な感情のなかに入ることができる
それで今日は書こうと思ったのだった
言葉はいつも過去形だが言葉のなかにも
沈黙のなかにも未来はある
言葉のこれまで歩まなかった道があるだろうと思う
原点にかえっていけばそこから
必ず違う風景がいつもみえてくる
元の道を戻らずともそこから違う道へそれて
違う道をすすんでいくということの大きな意味は
意図せずに迷路の中に迷い込んだような経験
迷ってもいったん出てみれば身体の響きが変わっているような経験のなかにある
そこにあるような確からしさのなかにいて
固まった技術やイメージ、理論に溺れていても先がない
人間もまた生き物なのだから
古くさそうな場所からいつも新らしい世界はやってくる
それがよいものなら
古い技術も人間がそれをまた使っていくことのなかに新たな面がみえだす
今日の診療もそう、ベースを弾いてもそう、いつもそうだ
確かなものはみえないけれど原始的なところにある
朝が開けて
薄曇りの光とうぐいすの豊穣な声で目覚める
一羽だけほんとうにすごい声のうぐいすがいる
他のうぐいすの声があの豊穣さによってより引き立つ
いまはたまたまかかったジョン・ケージのバイオリンを聴いてみている
昨晩はギターを聴いていたので共通項と差異がよく聴き取れる
これが本当にジョンケージなのか
うぐいすのあの声と比べてしまうがすばらしいの一言
こんな演奏がもし即興でできたらどんなに素晴らしくうれしいだろう
最近は忙しく本当にとりとめもないが何かをときどき書き留めておきたい
夜中に書いたものを少し削って書き足した
出雲崎 izumozaki(2)2010
人間が生きていくための尊厳、その運命のかかったこの重大な時期。ためていたものがためきれずに、いつともしれず爆発していくその反発力にかける自分がいまここにあるように感じている。
春になり、こもりがちだった冬の寒さがとけて、家のおもての空気が吸いたくなる。楽器を少し弾いてから西日の傾く夕方に前の道にでてみると、暖かい昼間の熱気がまだ冷めない空気のなか、鶯の声が今春もまた竹の風にしなる音とともにどこからかきこえてくる。それは彼方からきこえてくる風の運ぶ素晴らしい音。夕日は山の際に沈み、山は生き生きとした灰色に染まる。
そうして音にきき入っていると、これにまさる音はどこにあるのだろうか、そのとき、耳はすでに風をきいていはしない。連関されて思いおこすのは、いつも夏に延々と複雑に音を出す蝉の群の音。一つの蝉が一つの蝉をよぶ運動の集積は泣きやむまで続き、延々と続いた音も一つの蝉がおわり次がまた終わるその余韻のなかへと溶け込む。そうして世界は閉じ、深くて新しい眠りが次なる目覚めをもたらす。
音に感じ入るという感覚は、 言葉が他の言葉をもってして言葉が制されて言葉でなくなることによっているのではなく、 言葉としての人間が言葉を全く外部の音をきっかけにして不意に忘れ、動物的な本能と生物的記憶を身体の底から拾い出してくるような作用によって、言葉が音の「縁起」によっておのずから身をひそめて消失していく過程に通じている。
こうした過程を経て、あるとき自らがふと目覚めたとき、覚りの言葉が内部に生じているという過程、とても長いような、とても短いような一連の出来事といったらいいのだろうか、そうしてこの世界が示しだし、この世界によって与えられた言葉はもはや沈黙ではない。沈黙を打ち破る運動の力そのものだ。
言葉の始まりはそのようにしてあるのだと思うのだ。「花開いて世界起こる」ということは、音を聴くという単純な行為によっても、よりよくもたらされるだろう。道元も風鈴についてどこかでふれていたのは、そうした覚りの運動が風鈴というものにあるからだろう。
耳が全ての音にひらいていくことは大事な経験であるが、それに付随するように、耳が一つの巨大な音の渦、静寂、あるいは巨大な沈黙のなかに開きながらも、全体が全体として受け入れられていく受容の過程のなかで、全体として閉じていくことによって、言葉が飽和するのではなく、言葉が徐々に消失したところに再び自らが開示される。そうした繰り返しの過程のなかに、言葉と音の、人間と音楽のずれと反復がある。その反復自体が生の波動を呼びさます。
大地震がおきてからというもの、人の人間性と音の音楽性、あるいは人間性とその人の音楽性はもしかすると絶対的に異なる場所にあるのではないかと疑っている。人間の日常は言葉からもはや逃れられず、音は人間であることの、人間の言葉の、きっかけにすぎない。そう思いながらも、言葉と音の影たる音楽が接近して、深いところでわずかなずれを保ちながらも微細に交差していく過程を、鶯の声と竹のしなる音のなかに今日も夢みていた。
私にとって音楽は、そのようにして遠くにいながらにして、みえない人に寄り添い交差していくところに、人間をたとえほんの少しでも照らしだすものでなければならない。それは夢かもしれないし、それは実際きこえ届く音ではないのだし、言うまでもなくとても難しいことかもしれないのだが、音楽という具体的でしかも得体の知れないような、どこかを運動しながら彷徨い続ける、か細くもまた太くもあるその運動の力にかけずして、いまここで音を出す意味はない。道元のいう「縁起」とはそういうものだろうと信じて。
そうしたときその根底を見つめただすならば、日々の世界の、このざわめきと夜の静寂、とりわけ無人地帯の死者の沈黙のなかに、じっとみみをかたむけ、何かの声を聴くというただ一つの態度を貫くことだけが、自らを欺かないための許された道であるように思われる。毎日やっている仕事もそこから反射された何かを愚直に現実に即し具体的な行動にうつす行いとしてありたい。
人間にとってどうすることもできない天災の果てしない厳しさは、涙も涸れるまで泣きはらし天を恨み、天を受け入れることによってしか最後には乗り越えられないのかもしれない。人間の生活する陸地、海の恵み、しまいには地球が地球であることのなかに人間がいる。 今求められるものは行為の各々の価値評価なのではなく、まず何よりも、あらゆる生の運動への力であり、力をもたらすための眠れる夜だ。
出雲崎 izumozaki, japan, 2010
桜がほぼ満開に近くなった犬山城は多くの人で今日も賑わっていた。城に久々に登ってここに来たときのことを考えていた。犬山での生活を始めようかとはじめてここを訪ねたときも、城にのぼってこの地の生活が将来の自らを形成するのを想いながら、何かの手ごたえを感じた。そうして大学の医局を辞した。
引っ越す前の休みには、 当時祖母も百歳を迎えて、 自分の出自を模索する最後の機会だと思い、母方の故郷の群馬県の前橋市をとても久しぶりに訪ねた。何代かまえの祖先に近いところには、日本史の教科書に載るような軍事行動の首謀者がいれば、前橋の生んだ萩原朔太郎に影響を受け、萩原恭次郎や西脇順三郎らと親しい詩人も身近にいて、その時代の言葉を発していたということをはじめて知った。
そのとき私は、戦争の爪痕を少しではあるが実感をともなって垣間みるというはじめての経験をした。そうした風土や戦争という時代をひきずりながら、親が子を産み、やがて自分が生まれて今に至っているということを強烈に実感し、いろいろなことを思った。 戦争が少し身近に感じられた。戦後の経済や政治の本も、少しは私の身体の体験として読むことができた。
人間の歴史はひたすらに長い。余儀なく襲いかかってくる現実を、その都度引き受けて生きなければならない。道元の生きた時代も苦しい時代だったという。それぞれがそれぞれの人生のなかで、その時代を生きてきた。 何かを何かの行為によって伝えるということを、改めて考えなければならない。大本をたどるなら、たとえば釈迦は、ついに沈黙を打破してまで、何かを言葉で伝えなければならなかった。
そして、戦後の焼け跡の日本と経済成長を通じて達成された日本は大きく異なっているのだろうが、このたびの震災と原発事故、この自然災害と、連関されて生じた悲惨な人災から、私自身は何を学ばなければならないのだろうか。
福島では、隠蔽と人間のずるさそのものが暴露された上に、放射線にさらされ、死にさらされた人々が今もほとんど休まずに働いているという事実を思っては、毎日愕然とする。だがこの現実を考えるとき、そこに照らされた自分自身の態度こそを内側にむかって凝視しなくてはならない。そのことが今の私にとってやはり最も大事だ。
私は東京に育ち、離れてみると東京への愛着がとても深いとわかる。時折両親や兄から東京の今の模様をきく。だが一方で東京中心の世界も終わりつつある。学問という手法の限界も大きく問われるだろうと思う。これまでの私の何が大事だったのか、何が大事でなかったのか、今はどうなのか。私自身が一日一日を生きていくというその行為を、今は内的にみつめることしかできない。