西表 iriomote, okinawa, 2004

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代々木「おもや」に行った。
ゆすらうめを食べた。
広重と写楽があった。
生活ということの基にふれた。
磨柱のものふりた艶。




東京 調布 tokyo, 2008

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他者の死に立ち会うとき、死がイメージされる。
しかし、私は私の死を通過することはできない。
イメージとは覚醒している夢だ。




田辺 tanabe, japan 2007

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近代医学は、人間を機械に見立てることで大きな発展を遂げた。
現代医学は、人間という一つのシステムを精密かつダイナミックに記述しつつある。

しかし医学は何時も、医術という責務に立ち戻るべき実学としてある。
それは、人間という存在をひき受け、身を開くための、実に困難な術としてある。




東京 田園調布 tokyo, 2008

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一人の老人をみた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと湯船につかった。
その顔貌のなかには、笑いともつかない微笑みがあった。
やせこけた肢体には、厳格な人間の骨格があった。
微かな筋の動きのなかに、その生が蓄積していた。

尊厳は、朽ちていくことのなかにあらわれる。




東京 高尾 tokyo, 2008

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感動は、過剰なATPのうずまく身体の反応であり、切迫した心の揺らぎだ。
音楽は、一粒の涙である。




rhodes, greece 2006

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病気を治すということでも、受け入れるということでも、癒すということでもない。
定義することのできない光。
現にある、そこにあること、命。




東京 新宿 tokyo, 2008

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古びた洋間に飾られた祖父の絵には、
うす青白いガスタンクが、何機も描かれていた。





東京 代々木(2) tokyo, 2008

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心の垢をそっと剝いでみると、
幼少時を過ごした家の庭にあった。
木瓜の花の匂いがそこここに充満した。