熊野 kumano (18) 2010


Pasted Graphic 10


(つづき 5

八村さんの「アウトサイダー」の入っているCDの他の作曲家のものに折口の「死者の書」を題材とした作品があって、これをきっかけに家にあった松浦寿輝氏のコンパクトな折口論を、たったいまみていた。

なかなかおもしろそうで、八村さんの音から勝手にヒントを得たこととつきあわせてみている。このことについてはあたためて、あらためたいが、何よりも言葉の柔軟さと相手のことを相手に即して考え、さらに自分の課題として深めるという姿勢、そこで大いに問題となる言葉の繊細さが言葉の権力から逃れて、なおかつ重要なことを先取りして言葉に宿らせていく有り様は、非常に難しいことではあるものの、大いに参考にはなる。

折に触れておもうのは、どんなに生活態度や演奏を繊細できめ細かくやっている人でも、ある種の感情的な凶暴さをそなえていることであり(道元などまさにそういう感じがするのだが)、それを自覚しながら行為するというよりも、そういうどうしようもない瞬間がおとずれたとき、そういう狂気としての自己を理性が突き放した過程のなかに出来してくる何かが、みえていなかった一つの発見に結びつく。

本当の行為の質の高さというものはこういうところにあるようにも思うが、それは現実と狂気の接点で生じるようなものでもあって、社会的秩序とは相容れないのだろうか。だが、社会的失敗を抱え込んだそのような行為がまた、一つ一つの社会のみえない創造的行為でもあるだろう。