熊野 kumano (13) 2010
先日、作曲家の故・八村義夫さんの曲を初めて実演で聴くため、「八村義夫とアジア」と題されたコンサートを聴きに国立音楽大学へ行った。そのときに思っていたことをラフに書いておきたい。
八村さんは近い親戚だったが一度も会ったことがなく、私が中学生のときに若くして亡くなってしまった。母親の話によれば、癌家系で本人も癌で亡くなられたという。今回、三曲が披露された。行く前日に、演奏の水準も非常に高いと思われる代表的な三枚組のレコード「Breathing Field」を聴き、音大につくまでの電車のなかで二日かけて、死後にまとめられた八村さんのエッセイ集「ラ・フォリア」を読み返していた。
演奏が始まる前には、エッセイ集のなかに蓄えられている作曲家の魂が私のなかに強く響いていたので、音のイメージの輪郭は私のなかにはっきりとあったし、またそれが私のなかの音のイメージでしかないこともわかってはいた。だが八村さんの場合、私はそれで音を聴いてもよいと思っていた。そして聴きにいくのであれば、それぐらいの準備は最低でも必要だと感じていた。
ホール客席のど真ん中に座ったとき、今は亡きこの作曲家に会いたいという思いが強烈につのっていた。そういう感じだったから、いうまでもなく期待は大きかった。一部の正直で真摯な演奏家をのぞいて、実際の演奏は過度な期待感を差し引いても正直言えば決してよいと言えるものではなかったが、いま鳴っている聴こえてくる音から何かを得ようと思いながら音を聴いていた。
途中からは他の作曲家のもの、新進気鋭とされる作曲家の作品も含めていくつか演奏されたが、作曲家はともかく、演奏家は何をどう考えて音楽というものをしているのかということが、困ったことにいつしか、私のなかでその日帰宅するまでの最大の疑問へと変わりはじめていた。八村さんのことはおいても、日本の「現代音楽(ゲンダイオンガクと書いた方がよさそうだ)」というものは一体何のためにあるのかと思いながら、時はむなしくすぎた。コンサートが終わり、それはやがて私自身への問いへと広がっていた。
音楽にとって、作曲家よりもむしろ、今ここで音を奏でる演奏家とその聴衆のあり方が、音楽という経験そのものなのであり最も大事なのだということを理解していれば、演奏はあのような音の形にはならないのではないかと感じたのがはじまりだった。技術的に困難な面は大いにあるだろうが、作曲家の作品を演奏家がそれなりにうまくなぞって再現し披露する、それが作曲家の作品を奏でる音楽の目的だとすれば、明らかにむなしい。
作品と対峙している演奏家とそれを聴く聴衆の、そのときその場の音を聴くという身体的強度がなければ、その時空には何もおこらないに等しい。演奏は、この今に本当に対峙していたのか。思い入れの強い私にはそうは思えなかった。
八村さんは本人の合唱曲の作品の題名にも一部あるけれど、本人が「アウトサイダー」だったのだろうと私は思う。閉じこもった自己憐憫的な「ゲンダイオンガク」には距離をおき、音楽についての幅もジャンルということに分け隔てなく広く考察していて、何より言葉が的確であることはコンサートのパンフレットでも指摘されていた。音楽のアカデミズムにのっとった演奏の態度ではかえってその良さは出ないだろう。
その作曲の最たる特色は、多面体として提出された音のつながり、その呼吸感の持続というべきもので、はじまりから終わりまで音の密度が高く、多彩な意外性に富んでいる。久々に、あるいは初めて聴く場合、作品の終わり方が驚きである。無論、演奏の質にもよるが、ああここで終わったのだな、それは意外でもあり納得もされるような不思議な音の終末であり、呼吸は沈黙のなかをしばらく漂う。
音の最後は、音の死とはどうあるべきかという問いと向き合っているように今の私には聴こえる。死へと向かう錯乱と死そのものの静寂が混在している。未来と現在がともにここにあるという不思議な感覚におそわれるのだ。現在に出現した幽霊がー音に化身した過去の何かかもしれないー未来のなかを生きている、そういう感覚に。