熊野 kumano (3) 2010
俗であって俗のまま聖になるのが道ということ
道元のように稀な人間は
心身脱落して無(聖)にたどりつき
そこから正しく(つまりは一つ一つ立ち止まりながら)降りてくる
そういうことを成し遂げた
それが道元の「正法眼蔵」だろう
それはあからさまな詩という形をとり
詩でなくては表現できなかった
私がいま好まないのは聖域に達したような、にせの姿格好をしていることと
そこへ到達してもそこに耽溺することによって聖がそのまま俗化してしまうような表現だ
好まないということは裏返せば
そういう悪しきところが自らを巣食っていて
いつ頭をもたげてくるかわからぬということに他ならない
私のともすると陥りがちな悪しき危険性の最たるものは
そうした表現をはからずもしてしまうこと
それはすなわち聖を勘違いした俗まるだしの嗜好家
本当の数寄ということをを知ろうとしない単なる数寄ものということである
だがあえてそうならないようにしても意味はないし
それをおそれていてもはじまらない
本質的にそうでないためにはあまりに遠いことではあるが最後の最後で
聖域から正しくゆっくりと地上に降りてくるところまでやらなければいけない
途中で死んだとしても(おそらくそうなる)
常にそこを目指さなくてはいけないだろうと今は思っている
そんな難しいことはできないと放ってしまうことが
私にとっての道の今に反するからだ
自分自身をそうさせないことが私が私であるという僅かな自尊心の一つということにもなろう
道元にみるような表現の過程は聖域である雲海から俗へ降りてかえり
大地である俗よりも低く海にもぐるということであって
山頂に登ることは道そのものに過ぎないのだろう
そこへどう到達するかはいろいろだが
そこからどう降りるかをみなで分かち合い楽しむことが
表現ということの理想であるだろうと想像できる
だがそのためには今の社会全体が俗から聖へ転生する必要がある
意識的でないにしても
そういうところまで見据えて道元はたぶん説いているのだが
それは現状にあっては遠くて儚いだけの夢かもしれない
それはそれとしてよいものだとしても
言葉や表現は
離脱することによって無の侵入を待つことのみならず
言葉を大事にすることでしかえられないにしても
方丈記のように聖をあえて汚しつつ
その言葉でもって時空を断ち切って己を通じて聖を犠牲にし
そこにみえたり聴こえたりするものを通じて
極言すればそれぞれがこの汚れた俗を互いに救うためのものだという夢想は
ここ半年ほど遠く及ばない道元に影響されてきたが故の
いまの私の理想でもあるとおもう
毎日の実践はもはやはっきりとして
みなで最後には本当の巨大な仙人風呂につかる
そんな夢想のためにもあるが
現実との葛藤は多いし、社会に生きていればそうでなければならない
生産的な葛藤が生じるのは一人一人に対して諦めないことから始まるのだが
それは諦めることと表裏一体でもある
道元はもの凄いとするより
道元には心底勇気づけられたとするのが
私にとっては生産的でよい書き方かもしれない
方丈記については道元のときと違って解説など読みもしなかったのだが
少し読んでみると鴨長明は和歌と琵琶のかなりの名手であった
あえて時空を犠牲にすることでかなうもの
その数寄とは何だろうかということに興味を抱かされる
ディレッタントとはちがうような数寄の本質とはどういったものなのか
鴨長明は挫折と失敗から無そのものには向かわず
有であることを徹底した
ついに最後には有でありながら有に無を宿らせた
道元と同じく西洋に眼を転ずれば同時期のエックハルトも言っているが
離脱から離脱するところに無が充満してくる
方丈は鴨長明にとっての離脱の具体であり
方丈記は最初で最後の離脱からの離脱の具体なのだ
それでも自らを省みて無や聖なるものの意義を
近くに遠くにあこがれていただろう
このように方丈記から学んだもう一つのことは
長明のあの名文は俗であることから生まれていて
その詩性は山頂に達さずにして
文章の裏にそっとして宿っている
俗と聖の間を漂う、それだけで足れりというあり方
そういうことも実際可能であり大きな意味があるということだ
鴨長明は
山頂へ登らずして山中に迷い
山頂を見渡せる谷へやっと降りてたどりつき
川を見ながら出だしを書いた
川の先に遥かな海を聴いた
そういうあり方は良寛に通ずる
蕪村は離俗論というのを書いているらしいが
何をしているものであれ本を読み詩性のようなものを先人から学ばなくてはならない
そういうようなことを言っている
俗と聖そして詩性ということについて一考する必要が大いにあるということだ
そのためには世阿弥とか兼好法師とか芭蕉とかまで含めて
中世から近世への文学空間全体をそろそろ一度俯瞰的にみわたしてもいいころだとおもう
(こうしたことは日本人としての常識という言い方もできるが、そうした基本の勉強をあまりにも怠ってきたのは他ならない日本人の私である。そしてそうした恥ずべき私の経験とその反省からもいえるのだが、競争にかまけて自らを知ろうとすることなく歪んだ形で伝統という本質を破壊したり、逆に実体のない固着された権威的かつ攻撃性をふくんだ妄想をつくりあげたりして、真の伝統と創造のあり方やその宿っている場所というような本質的なことを謙虚になって学びとろうとしない。自由な時空間であるはずの伝統へのきっかけすら与えてこなかった。そういう教育のあり方の弊害をも今の自分自身にみることができるということだろう。競争ではだめだからゆとりだというのでは根本からさらにずれるだけだ。とりかえしのつかないことになった原発事故も、そうした類いの象徴であると私にはおもわれる。)
私自身はといえば
もとを正せばそのきっかけは自ら東京を離れたことと
たまたま近くにあった古美術のよいお店
私はまだその断片のさらに断片しか知らないが
過去にはいまなお深くて広い時空間が開けている
やっと、それでも身にしみてわかってきたこと
物質的にははるかにいまは豊かだが
私たちのいまの時代の堕落さは
道元や鴨長明や親鸞の時代の過渡期とやはり重なるように思う
方丈記を読むといまと同じ現象が書かれていてほんとうに驚く
便利になればなるほど頭を使わなくなるし身体も弱くなるし精神も枯渇する
人間が人間であることへの希求そのものすら薄れるが
それでも今をまだ人が生きている
むかしの人の考えたことがやはり今を生きるためのヒントになるだろうと思う
(夕方、早朝に書いたものに言葉を加え変更した)