熊野 kumano (20) 2010
(つづき 7 )
しかるに私は東京を離れこちらで新たな生活を始めてからこの二年半、どのようにして過ごしていたのだろうか。単に振り返ってみても、つまるところ意味がないのだろうが、身体的な区切りにおいて一度俯瞰してもよいのかもしれない。途中で気になっても深められずに放っておいたものは山ほどあるのだが。
もう師走だが、今年は日本でいろいろな過酷なことが起き、今でも生じている。政治や資本主義というシステムはどこまで続くのだろうか。それほど長くないような予感すらする時代になってきた。松浦氏の折口論は政治性ということをやや意識してかかれたもののようだが、何かが私に腑に落ちたのもそういう点が関わるのかもしれない。
何よりもこちらへきて、大きな精神的衝動としてマイスター・エックハルトを知った。内なるものから最も内なるものへ。自己からの離脱、離脱からの離脱という過程と自らに充満される無の聖性。これは井筒俊彦の難解な著作「意識と本質」の記憶をよみがえらせる。都会の喧騒のなかではじっくりとはなかなかいかない。
人間と神性との合一など現実からかけはなれた狂気の沙汰ではあっても、なおエックハルトの離脱ということや、「内なるもの」そして「最も内なるもの」ということ惹かれるのは、本質を求めることの本質が、世界の本質を知るためというより、現実ではそうは簡単に表出されない何かが、ふと音連れるための契機となるということにあるのだろう。
近くの古美術の店が一つの思いもよらなかったきっかけとなる。古い浮世絵や掛け軸、歌川国芳と月岡芳年、そして若冲や岸駒を間近でみて、特に浮世絵の紙を直に触らせてもらったことは大きかった。上田秋成の雨月物語もその延長としての過程において大きな影響を受けた。幽霊と情念。墨の濃淡と筆触の凄み。人間の情念の文学的開示。
絵のなかの書ということにも次第に触れ、それが講じて東京の生活への反省、そして個展「凪風」への個人的な思いと反省そしてそこから離れるために、良寛への切なる心の旅が始まり、越後への旅。良寛からの必然として、とめどもなく深い道元へ。
釈迦に接近するには身体的な無理があまりに大きいにしても、良寛の無音の声を精神として聴くことは生涯かけての実践となるであろうし、道元の言葉のあまりの含蓄はその普遍的な時代を問わない斬新さにおいて類をみず、一生の発見の具体的な手ほどきとなる。
空海はほんの少しかじったが脇へおいておくことになった。だがこの年末年始には雪の高野山へ行ってみたいと願う。雪の永平寺との差異を感じとりたい。空海からは熊楠が垣間見えるが、言うまでもなくおいそれといかない。
曼荼羅、固定的な概念や体制ではない「動きを孕む象徴」としてのマクロ、音の結末としての宇宙ではなく、瞬間に凝縮される音の動きそのミクロの極まったマクロの形としての図。粘菌の描く見事な路線図。これはまだ先のこと。
ある概念や生き方死に方の定本ではなく、個人とその残したものとその都度向き合うということが、私の他なるものへの向き合い方であり、それは私の医への態度と共通するものである。マクロとしての統御にミクロを奉仕させることよりも、音のミクロの質感をはるかに重んじることによってマクロをミクロに宿す八村さんの態度とも合致するのではないか。