熊野 kumano (17) 2010
(つづき 4 )
先日、家族をむかえに高速道路のかなり濃い霧のなかで二時間ばかり車を運転しながら、八村さんの音楽を聴いた。前日から何かが起こる予感すらしていたので運転は慎重だった。 初期の「ピアノのためのインプロヴィゼーション」は明らかにフリージャズとも質感がちがうな、とおもっていたところだったが、 すぐ先を追い越していった白い車が先の方でスリップしてクラッシュし、路肩のようなところに衝突した。怖い思いをしたが、運良く私は難を逃れた。運転手も無事でよかったがs狂気していた。その日は身の回りでその余波のような出来事がいくつか生じて、家についたときは安堵した。その日はそれから八村さんの音楽もやめたのだったが、、、。
宇宙からみれば人間はチリのチリさらにその末端にいるようなもので、はるか遠い未来には銀河と銀河が衝突しこの太陽系も消滅する。己のなかの最も近しい「情」というものは、だれしも本質的に宇宙の狂気に通じているのだろうか。濃霧の幽玄が、音をしてまったく大げさなことだが、そんなふうにも思わせる瞬間もあって、幻想的だった。疲労していると、映画にも出てきそうな時間だったしそういうふうにセンチメンタルに聴こえる。音と音の間を非常に引き延ばしてみてみれば、そこには無限の時間がいつも流れていて、こういうことはある条件が整うと、非常に鮮やかに感じ取れるものだ。
けれどもそれに酔いしれるとまではいかないが、音楽の夢(=狂気)からどこかしら目覚めると、その夢の残骸が、過去の私のまわりに生じていた現実の身体の残骸に染み渡っている。音は無垢なようでいて、人間というもののおどろおどろしさを浮き彫りにする。なぜかわからないが、車のクラッシュのあと、数年前の自分自身をいつしか思い起こしていた。それもノスタルジーだが、ノスタルジーに浸ることも発見の活路となることも多い。
どろどろして、人間の欲望とエゴと、悲しみとか喜び、凶暴さと繊細さ、生きていることのいろいろな情があり、東京での仕事というものは、個人の生からは本質的にはなれ、社会のなかの役割を演じ、役割のなかで人間と人間の情のもつれが、社会的現象としては表面にあらわれない穴のような場所でどうしようもなく動き、浮き沈みする劇場のような場所だった。だが、社会的劇場の裏で生きている場所、その穴こそが人間の生きる現実、そこに社会の実質があり、ねばねばとしたものや、恨みつらみを抱えた言葉、またそれを隠す言葉を様々な場面で感じれば感じるほど、いわば都会のみえない現実に生きることの過酷さを思い知った。
こうして「錯乱の論理」とともに動き出した現実と心の狂気は、やがてある場所に落ち着いて静まり返る。それが音のさったあとの沈黙であり、そういう狂気を世界が内包していると気づけばきづくほどに、理性がこれを押さえ込むのではなく、理性はこれをつきはなし、狂気は狂気でありながらはっきりした正気へと冷めていく。そうして音はより「主情」的に聴き取られ、それによって客観視されてくる。
この過程を経て、音は恐ろしいまでに何かを映し出す、それは確実に映像的でもある。写真はもうみなが何かしらの形でやっているに等しいが、人間にとっての情と、情を突き放す世界の冷酷さを、その過程をふまずともそのなかにあらわしてしまうさらに冷酷な媒体として、私にはいまうつっている。だがそれゆえに、人間は簡単に死(=写真)をみつめることもできない。