別府 beppu(9)2009
家路にはいつも城がある
城の下にある家にたどりつくのは日頃から当然のごとくわかっているようだが
たどりつくかは本当にはわからない
澄み切った夜空
どこにあるかみえない雲の一群から
何かを待ちわびてきたかのごとく
粉雪が舞い降りてくる
たどりつくことは待つことの
上下なき鏡の位置にある
どこかへたどりつこうとする意思は
何かを待つための礎である
それがどこなのかあらかじめわからなくてもよいが
いま私はよくわからないのだが
到着点ということなしに
何かを待つこともできないように思う
待つことは間という場を形成し
時間と空間を
静寂と静止を統一する
それが時空ということかもしれない
一音や一枚の写真は待機された時空の
一つの具現であり
写真を撮ることは到着への意思からはじまり
写真は静止し何かを待機する
音を出すことは静寂を破る意思によってその場を出来する動きであり
音の余韻から無音へと至ることによって再び何かが待機される
到着への意思は
身体を通過した言葉の結実化される際へと通じ
言葉が真に未来へとむかう礎となるのは
おのずからの意思によって
言葉の結実点が沈黙を破ったときである
まだまだそうした真の感触はこないが
沈黙と静止と静寂
それらによって支えられてあるものが
動きであり変化である
変化ということの通低には静寂と静止と沈黙がある
そういうことは直に感じられる
到着と待機の合間
動と不動の境目が言葉の役割であり
言葉が時空の裂け目をひらく
場が揺れていく
そのように言葉は広く人間に密着している
人間の身体の言葉もその一つであるが
やはり言葉のないものたちの言葉に耳を傾けたい
それもただそれだけのために
あの澄み切った夜空から舞い降りた雪
形容しがたい時空の裂け目を生じさせた家路の粉雪
それもまた文字に書き音に話す言葉と同等に
世界を分かつもの
世界の一端を担っている
最近非常によくみている特に江戸の浮世絵がいまここに提出しているものたちも
戻ることのない時間
過去の浮き世の影としての
静止し静寂した一瞬に投げかけられた言葉である
一世紀という期間も一瞬にすぎない
過去を今に本質的につなげることが今を未来へとつなげることであれば
連綿と続く言葉の深さとともに生じてくる言葉の広さがいま大事である
そうした言葉は到着点や目標値の定められるような啓蒙と達成という枠のなかにはなく
分けられた時間と空間を時空へと再びおしだす動きをかたちづくるというべきだろうか
こうしたことは昨年こちらにきて
エックハルトに出会ってからというもの常時気にかかっている
科学者のヘルマン・ワイルはエックハルトをこえようとしたともきく
エックハルトによって私はいまも静止し続けているように思う
西洋的なるものは私にとって避けることができないし
いずれは高野山を深く訪れるためにも空海を読んでみたいと最近思うようになってきている