熊野 kumano (9) 2010
道元のように感覚を研ぎ澄ませ、文章の論理力ではなく言葉をその手段として感覚の論理をさらに浮遊させる、そうした力によって呼び寄せられるものは確かに存する。何かについてついに論ずるということがないありさま、無論ということ、そのあるがままに満たされた無として。
論理の意味の破裂されるその寸前にとどまること、破裂の直前を破裂しそうになるという運動そのものによって保つことが感覚の論理を導き、感覚の論理が言葉の意味の論理をかろうじて存在させながら、論理が論理を超えようとするところにあらわれる他者。その他者は自らのうちにやってくる。
満たされた無としての他者の到来が、自らの内側に形成されようとする論理を異質化するように動く。こうして私は私のなかに沈み、他者に置換されるような得体のわからない違和感、私と他者の異質化と同質化の繰り返し、瞬時の置換の極点、生成と破裂の間隙において動きが自然に静止しようとするとき、動いているという静観を得ることもありうる。
我に返るのはそのときである。だが、静観しているその状態は外側からみえず、内側からも聴こえない。我に返るその一瞬にだけ、静観が宿る。ふと場のなかに入りそれと気づかずにシャッターがきられていたときのように。 一千分の一秒のなかには誰もいない、所有される現実のない、存在があるのみ。 静止と無音に身体の一撃が加えられること、その力が我を我として再び生じさせる。シャッター音、その機械性とその操作性の住処はここにある。それはコントラバスにおける弓の手触り、毛と弦の脂によって擦れる音が揺れたときの瞬発的な摩擦音にも似ている。
こうして経験された心の無はそのまま他者の介在によって心の力動となり、私はいわば生まれ変わる。静寂という地に生えて風に震える竹、竹の合間からの木漏れ日のように、のびやかでしなやかな心の動きがそこに生まれる。撮ったあと、すぐに画像を見れないフィルムの特性。心を待たせ熟成させ、フィルムが物質的他者となり私をまた異化するために。そのとき時間はもはや時間ではなく、時間の長短は時の密度のなかに消失する。
少しかじった程度で禅を本当には理解していないにしても、少なくとも禅的な過程は音を弾く過程においてもあらわれるし、写真はうつされたものはおくとしても、おそらくその構造と機械性、その手法自体は禅、あるいは禅的といってもそれほど間違いではない。何よりもそれは普段の仕事をまっとうする過程、仕事をさらにその過程内容において洗練させようとし、それを慣れの怖さから救い、動きながら質を保とうとすることそのものの手がかり。それはそれをもとに理論化し作品化できない行為そのものであり、過程そのものである。
しごく勝手ながらも良寛や道元にこの感覚を裏付けるものを欲したのだろうと思う。それは他者へではなく自らへの欲であるが、その自覚とともにその思索を追うことによって、いまの自己を肯定するため、結果、そのためなのだろう。道元は神秘ではなく一つの方法であり、現実と夢のあいだを漂う世界のリアリティを形成しうる。この身体化に適しているのは何より毎日の仕事を大事にすることに他ならない。私は良寛や道元に仏性のありようを見ようとしたのではなく、いってみれば、その個人個人から感覚の筋のようなもの、微細さと弱さの孕ませる痕跡のあり方とその残余のあり方を学んだのだろうか。
道元は思えば思うほどその解釈とは別物でありつつも、私にとって一つの何かの論理として今ここにありつづけている。いまのところ、そこからこの感覚が逸脱しようとはしない。炎は炎を自ら消すことはできないが、炎の消える場所、炎の消えた微かな煙の匂いは、その論理と言葉の政治からもれる。そのために道元は言葉を書いたと想像もするのだが、その言葉からすらもれるもの、不意にあらわれつつ不意に消滅する光、揺れる炎を導いているもの、炎を消すもの。言葉からもれるもの、言葉の木々のこもれびは何だろうか。
私の日常のことどもにつねにまとわりついてくるようにあって、自分ではまだ良くわからないもの、簡単には近寄れないものがある。しなやかな心、その竹のうごきにいったんはしのびよるが、ついに竹と同質化できない風、竹の隙間からもれてこない光、岩に染み入ることの決してできないような音は、無限の時空をひたすらさまよっている。
言葉にすることによって、むしろその存在を大きく排除されるものたちが、やはりそこここにある。道元の言葉からは離れていくということは、沈黙を静寂に返すことに他ならない。道元を読んだ、とすることはそういう言葉のないところに生きることである。
個展をしたとき影響をうけた老子やペソア、そしてロルカには、彼らが表現しつつも言外に言い残したもの、言い当てないことによって浮かび、朝目覚める寸前の言葉のように消えていくもの。当のものを言い表さないこと。それはまわりまわることによって、次第に円のなかに生成する神経の軸索のような感触を聴くこと。世界の軸に参与できずに、そのまわりにまとわりつく。だが言葉の布地とも違うもの。
道元の言葉からはなれることによって、道元の言葉にはいっていく。そうして道元の身体をみたとき、そこに聴かれるものたちをみる。それは、道元もまた一人の満たされない風であり、音である、そういう見方によって道元を救うものたち、あるいは道元を道元として道元のまわりに存する他者として、道元を存在せしめるものたちとともに、道元に結晶しなかったもの、有機物や無機物としてさえも結晶することのできない浮遊物をみることだろうか。道元の神経の軸索を浮かび上がらせて聴く、そのことは、論理の超越による離脱、感覚の論理からさらに離脱することだ。
沈黙は言葉の裏側か。静寂は喧騒の裏か。そうではなく、静寂を沈黙が破ったとき、もうすでに音が始まっている。では生じた音は何によって静寂へと返るのか。道元が書いたものをよむということは、同時に道元が書かなかったものに眼を向けることでもある。それは言葉の限定を限定することによってその周囲を浮き彫りにすることであり、言葉を散漫にすることではない。
アニミズムという用語の定義や神の化身、それらの定義やそれを示唆する用語は世界中に多々あるが、第三者からすれば言葉の定義でしかない。それは言葉の政治だ。だが言葉の政治から逃れるものは、注視すれば聴き取れる。アジェの写真に映された光、ジャコメッティの極小の残されて立つ男、芳年や国芳の描いた霊、若冲の墨の驚嘆すべき濃淡、上田秋成の雨月。
音が沈黙から静寂に返るとき、岩にしみいることのできなかった、岩としてついに存することのできなかった、季節のはずれに遅く生まれたもの、うまく死ねなかった蝉の痕跡がそこにうごめいているという予兆を残しながらそれ自身で自律する音を求めながら。
近くの世界をミニチュア化したようなレジャー施設のような博物館で、数ヶ月前、たまたまかかっていた聴いたエスキモーの音楽、その単純明快でなおかつ揺れの確かさをもったそのもの凄さにうたれるとき、私は奥底に何を感じているのだろうか。その奥底をのぞくことはできるのだろうか。忘れることができない、しまうこともできない記憶のような。これまでの言葉とは全く異質なところで身体がざわめく。あの数分感をただ反芻している身体がずっとここにある。地震の影のように。
権力者は布をまとった言葉の陰に隠れてみえない。みえてくるのは犠牲者ばかり。飼いならされた言葉こそが政治であり暴力であるならば、はたしてこの時代に、言葉なしに音楽や写真は存することができるか。道元あるいは禅はアナーキズムではない、混沌でもない。あたりまえのこと、基本的なものごとはどこまでも深い問いを抱える、そういうことの形と実践。
良寛そして道元は、東京から越してきた私のリアリティ、その確認としての私なりに読み経験した場にすぎないが、 彼らの内にある苦悩が苦悩をつきはなした言葉がこの私にも読み取られるとき、 一瞬という時間を超越した空間を無限に開く場に私は漂っていた。微細で弱く儚い、そのためらいの極みとして純化された強靭なるつぶやきと痕跡のなかにいた。
人は二つの人生を生きる(ペソア)、その片方の現実の推移、そのなかの偶然が私に課し、偶然が偶然を化すことによって生じた必然がもう片方の現実を確実に象っている、そういう動き、常にそのなかに私は生きている。この隙間に右往左往しつつただよいながらも、こうして写真や音は私のまわりをいつもうごきまわっている。