熊野 kumano (8) 2010

Pasted Graphic 19


先日は、Linksのコーナーで紹介させていただいた齋藤徹さんと徹さんの娘さんの真妃さん、ミッシェル・ドネダさん、ル・カン・ニンさんの四人で、ツアー移動中に犬山を訪れてくださった。

齋藤徹さんは今となってみれば旧知の仲、音楽の大先輩という感じで、かつて徹さんのところに音楽のレッスンに通っていたのが、いつのまにか自然に親しくなり、家族ぐるみの付き合いとなった。学生の終わりころに出会って、大学病院でとにかく必死に働いていたころまで時々通っていたが、そのころからレッスンは楽しかった。レッスンによって世俗の余計なものを音に剝ぎ取ってもらって、医者としての行為の質を本質的にたもつことができてずいぶん助けられた。

現代にとって、医療行為の形は大きく違えど、たとえばシャーマンとしての医者という視点は医者にとって本質的に重要だ。このことは現代にとって言葉にできないほどあまりにも深いことで、いまでもなかなか私はそれについて話すことができない。さらに理解はしていても、日常の雑多で煩雑、複雑な関係性と現実がそれを隠す。そうしていつのまにかどこかに忘れ去られた何かを齋藤さんのレッスンは身体に思い出させる、そういう貴重なレッスンだった。逆にそういう視点をもたない、あるいは軽視している人間はあのレッスンのさりげない凄さもわからずに、その意味も想像すらできずに、ついていけないだろう。私がつづけられて、ラッキーだったのは私が音を求めつつ医者を志していたためだ。

ご本人はかなりご謙遜されていらっしゃるけれど、音楽はいわずもがな、人間性を音によって引き出し、このようにその人間に合った形で教える才にもたけた方だと思う。ゆっくり話すのはかなり久々でとても楽しかった。なかでも仏教伝来以前と今の私たちの間、歌と踊り、そしてアジアという話には現状への大きなヒントがある。たとえば先にあげたシャーマンということ(いまはそれもほとんど象徴的にしか使えない言葉だが)、それは現代において忘れ去られた、だが人間の身体が忘れることが絶対にできない根源的な何か。ある意味において現代の身体的トラウマだろう。徹さんはとうにそれを感じ取られて、長いあいだ、実践しておられるようにみえる。いずれその高みへ(あるいはその低さへ)私も自分なりの自然な形でゆっくりと導かれたらよいなと感じながら、今回もまた話をきかせていただいた。最近はほとんど飲まないので、元来酒に弱い私はビールコップ一杯で顔が真っ赤になるくらいだったのだが、楽しくて久々にずいぶん自然に酒がすすんだおかげで、正気のままほとんど酔わなかった。あのときのレッスンを思い出した。

齋藤真妃さんは東京の東中野のポレポレ座でスタッフとして現在活躍されている。ツアー中3人の演奏家を大きく支えているのがわかる。こういう立場の人がいかに大事で、目立たずに支えているかは、私は自分の医者の経験からもよくよく知っている。誰々の作品、とはいえ、本当はその数パーセントもその人の作品とは言えないこともよくある。あまりにも大事な仕事であるから変わらずこれはこれで大事にしてもらいたいと願っている。気だてがよく芯のある方で、私の小さい娘もずいぶんかわいがってもらってありがとうとお礼を申し上げたい。ときどきライブの写真を拝見させていただくが、写真にも何かの芯を感じる。これもまた大事にしていただきたいと思う。

ミッシェル・ドネダさんは何よりも、その人間性が稀有なほど大きく、日本に欠けているといってもよい何かを間違いなく内包した方だ。演奏にその人間の深さと広さがダイレクトに直結している稀有な演奏家であり、心から尊敬している。彼と一緒に楽しく散歩し、酒が飲めるという経験によって私のなかの何かが深いところでいま呼び起こされている。つまりは、風がふと風の音を奏でるように、人間にもこういう音が出せるのだということ、これは人間が生存してきた、そしてなお生存しているということへの誇りだとすら言える。人の自然というのはこういう音を奏でるのだ。その究極的な形がミッシェルさんには確かにある。

無論自分は自分でしかないのだが、ミッシェルさんは私のいまの私の目標だ。私の駄目なところ(いくつもいくつもあるけれど)を剝ぎ取ればきっとああいう姿になる、なればよいと夢想することができる。自分にひきつけた勝手な言い草をすれば、自分を出し切るということが逆説的に表現にならない、そういうことが究極的にはできるのだということを演奏を通じて知った。私に欠けている、あるいは求めているものはまさしくそのことだ。風が風であるとは風流ということとほどとおい、風の流れとはそういう生命の大きなエネルギーのことだ。彼という人間にふく風は彼のなかの、そして太古からの人間の内部を貫く風に等しいのだ。その人間の風の息がソプラノサックスを通じて聴こえるのだ。

ル・カン・ニンさんは、はじめてお会いしたが、とにかくこれまでお会いしたことのある人のなかでも、ものすごく知性あふれる方で、まさに驚愕した。もちろん、人間性も素晴らしくユーモアにあふれていて、おもしろい。質問をさせていただくと真剣に答えてくださる。話をしだしたら止まらない。夜中一時くらいまで酒を飲みかわしながらみなでいろいろ話をしたが、ニンさんは本当に強烈な印象だった。

朝おきたらジョン・ケージのプロジェクトに向けた譜面を製作中で、 これがすごくおもしろそうで竹の日本製の定規を使っておられたのだが、その集中力はその知性とは裏腹というより表裏一体、まさに動物的だった。おおらかな人柄と寸分くるわないバランスをとるような対をなすように、その眼光は獲物をとらえるように鋭い。犬山城でもあらゆる音に鋭敏に反応されていたのが印象的だった。人間の知が人間にとっての身体であるとはこういうことを指す。

演奏も発想がとても豊かでその知性がダイレクトに身体となり、多くの観客をひきつけていた。 まだニンさんについて語る本当の言葉がないのが残念だが、そのうちもっとわかるときがくるだろう。ジャン・サスポータスさんにはじめて会ったときもそうだったが、稀有でありながら非常に親しみやすい、そういう独特の魅力をもった方で、ひきつけられる。徹さんは日本にとって重要な人を連れてきてくださる。

翌日の名古屋でのライブ、久田舜一郎さんの小鼓を交えての演奏。ちょうど満月の日。久田さんの音と声が心にずしりと響いた。二歳になる娘も思い切って連れて行った。娘も興味をもっておとなしく聴いていたというより、みなの演奏に何かを聴かされていたのだろう。

今回はこうしてよい経験をさせていただいた。言葉にできない部分が多いが、感謝の念と私自身の今後のために多少無理をしてでもここに書き留めておく。現在、危機に直面している日本もこの経験を生かして、これから世界のなかでこのように個人個人が尊敬されるような、本当の意味での自信と誇りの持てる国に根っこから変わっていきたいものと切に思うし、まさに他人事ではないのだ。ミッシェルさん、ニンさん、来日、来犬山、そして演奏をどうもありがとう。もちろん徹さんと真妃さんにも。