熊野 kumano (21) 2010

Pasted Graphic 5


(つづき 8 )

3
11日に大震災が起き大津波が東北沿岸を襲った。原発事故が生じほとんど何も実質、言葉にならない。知人の安否を気遣いともかく日々がすぎる。かつて三陸沖を写真にフィルム十数本のみとっていたが、いまだに見返すこともできない。いずれ発表するなら撮った全てのコマを等価にと今はとりあえず思っているのだが、それもまだ先のこと。わからないまま。

初めて知ることになった反原発の反骨の人、京大の小出さんが早くから言っていたようにこれを機に世界は変わってしまった。学者、あるいはサイエンティストとしての実践とプライドを捨てたらとたん、学問もあっという間に力を失う。

鴨長明「方丈記」のリアリティと震災の写真がかぶる。政治とマスコミの嘘、現状の科学、学問の限界、政治との癒着、作為としての近代化、市場経済とグローバリゼーション、環境問題の闇などなど、嫌でもどこかで考えさせられる。

大阪では中平卓馬の写真展が印象的。ユベルマンの著書も刺激的。時折東京へ。私の音楽の師である齋藤徹さんを軸としたコントラバス5人の共演(近日DVD化されるそうである)のライブや高橋悠治さんの「カフカノート」を聴きに出かける。

長く暑い夏をへて、秋にはその齋藤徹さんとミシェル・ドネダさん、ル・カン・ニンさんが我が家へうれしい訪問、有意義な話と非常に質の高い即興を間近で久々に聴く。質の高い音の洪水を久しぶりに享受し、音楽そのものに再び大きく触発される。

さらにとても身近でありながら遠かった作曲家、国立音大の文字通り有り難い企画により、親戚であった八村義夫さんが急激に、不意に身に迫ってくる。ここからの身体的影響は書ききれない。

とりわけ八村さんのことは全く否定のしようがなく、私の身体にとっての直接的で具体的な親近性とリアリティがある。義夫さんの兄弟だったデザイナーの邦夫さんからはかつて写真の指南を一度だけ受けた。二人とももういないが、間接的ではあったがどこかで大きな影響を受けていたのだろうか。それが今回、東京の国立音大から今に至るまで契機に呼び覚まされた。