málaga(3), spain 2008

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写真はピカソ美術館の裏手にある大きな無花果の木
静かに佇んでいる

バックとカメラを預けてなかに入る
いい中庭

部屋に入ると
絵がそのまま額のなかにある
額縁はマットで縁取られていない
絵の周りの空間は
場をなしている

そして食い入るようにみる
ひいてみて眺める
みるみるみる
時間を最後まで惜しむように

そうしてもう一度
生まれたての筆づかい
ピカソがたった今書いたように
そこに絵がある
完結しない動き
あまりにも見事で感極まる

とくにひきつけられるのはデッサン
その筆に感じられる動きは
遠く深くあまりに人間的なために
完成されている状態その全貌をみることができない
細部のなかに
きっとさっと描いたに違いないその筆を感じ
一筆の数センチのなかに
さらに書き出しの
数ミリ単位の筆の
厚みと変化に感じ入るのだ
その筆と紙の接触のなかに
私の身体が入る
それはそう、


誕生

  色彩の
  形の
  物質の

  「アル」の

  音の


その筆は一気に円を描きモチーフを形作る
そこへいくあいだ
一人の人間の全存在が連なり
それはピカソの全身全霊を担った動き
意思と苦悩と
何時も何時も
生まれたての身体

創造と持続

昨日横浜美術館でみた源氏物語展
桃山時代の書の
筆圧と形のあまりの微細さと繊細さ
無論ピカソと同じではないが
両者を突き動かしているのは何か

人間であること

代表的な研究本は何冊か読んだことがあった
しかし私はピカソを知らなかったのだ
これまで何度もピカソの絵をみたが
本当には知らなかった
ということは
本当に感じてみていなかったのだった

今私はマラガの大気と光に囲まれている
ピカソの生誕地マラガ
歴史を背負った大気
生活の周りにある大気

ピカソはおそらく
他者を含み込んだピカソの生の現実すべてから学び
すべてをその絵に結晶し
ピカソを変化させてピカソを常に創造した

マラガ
他のどの地でみるよりもピカソの絵に惹き付けられるのは
多分あのピカソもまた一人の人間であったからだろう
ピカソの創造は文字通り
計り知れない

私はこの美術館で本当に幸福なときを過ごした