出雲崎 izumozaki(8)2010
音がなっているとき
音の粒の点滅こそ
生命の絶え間ない泡の輝き
音に託されたわからない何かが
流れる輝きの過ぎ去っていく痕跡なら
生命とは流れ流れていくものだ
固定されたものではなく
そもそも流れゆく
そこここに各々が点滅している命がなければ
音の点滅を聴くことも
音の消滅に感じ入ることもない
生きている事実の内側から
言葉が離れていくと
音はもはや音でなくなる
言葉が離れないように
言葉の始まりと音がひっついたままでいられるのは
私の外に私の内部があるとき
写真は止められた時間のなかで
止められた生命によって立体的に浮かび上がる
あの壮大な視覚空間と想像
言葉が生の言葉を突き放す場所
すでにそこにあるかのようにふるまっている
みえることがみえることを際限なくうながす宇宙
あの言葉の力による見え方
それをさらに超えていくこと
写真が時としての輝きをもつために
一瞬の記録のなかに潜んだ眼差しの奥に
時を含有している
何かの感触
他とつながる感じとともにあること
撮影者の眼差しのさらにとおくにあるものとともに
時間のとめられた写真のなかの
時の流れがあらわれるために
人間の態度
言葉の態度をかえる
流れ出した時間はどうしようもなく
とまらない
もはや時間は何時何分ではなく
決してとまらない時となったようだ
時間のないこの世で
時をさがす
はじまりもなく終わりもなく
終わりがはじまりのような時
写真がたった一枚そこにあれば
それだけで時のようなものが流れ出す
その感じはいったいどこから
事実とノスタルジー
犠牲によって消滅したものたちと いまここにあること
人間と機械
そのあいだのどこかの隙間からか
一枚の写真のなかにいることと音が途切れていないこと
目の前の写真から立ち去ることと音が止むこと
意志の言葉とそうでない言葉
生きることと生かされること
そのあいだのどこかの隙間から
ただよってくる何か
言葉の正体
ことばそのもの
時の母体をさがして
いまどこかをさまよっているようだ
おそらくもはや疑い様もなく
これまでで最悪の生物
人間のつくりだした
放射能あふれる原子炉のなかに思いがけず繁殖していた草の母体を
ミミズのようにさがしている呻き