málaga(2), spain 2008
夕方、初めて看護専門学校で講義をした。 必死に作成したスライド100枚を解説し、ひとまず役割を私は果たしたかどうか。講義の基本的知識に将来の実践がどこかで結びつくような、頭の片隅の片隅、記憶の端っこの末端にずうっとこびりつくような講義を心がけたけれど、私にとってはすぐに90分終了してしまった。学生さんたちには長かったかもしれない。再び記憶とはどのように形成されるのかと想う。学生さんたちは、熱意があっていい顔をしていて少し控えめ、そのような感じのよい方々が多い。なかには社会人を経て再度入学された方も多いと聞く。真剣なまなざしを数人から感じながらしゃべることは、自分によい緊張感を生む新鮮な経験で、我が初心を思い起こさせてくれた。
夜は看護師さんたちと勉強会をした。話しあって問題を共有し解決していくことが社会的実践においては求められている。 ほんの小さな勉強会も大きな意味と原動力を予備している。 医療には刻々と変化する現実に対応し、不確実な未来を予見予聴し、変化に身を投じ判断していくまさに「即興的」態度が求められている。さらに複数の人々が関わっているから、このような場には、人としてコミュニケーションをどのようにとるのか、それぞれの個人の信念と信念に裏打ちされた謙虚さ、他を想像し敬う心が大切であることは言うまでもない。 人間関係のあらゆるあり方を感じつつ模索することのなかに、自分に固執しつつも自分に固執せずにそこに身をおくことのなかに、 それぞれが中心でありながら中心がないような生きた運動の場を作っていくことが必要と思う。
私にとっての音楽や写真の実践は、一つには、社会的実践においてこのような場の形成を促す予備力としてあるだろう。 小さな勉強会もまたそのような場としてあるべきであるし知識の確認とはいえ、それは知り理解することのなかに一つの運動をもちこむことだ。それは人と人が対話することのなかの具体的身体であり、一人で本で頭に知識を貯える行為とはまた違う意味がある。