瀬戸 seto(6)2010

Pasted Graphic 30

大地震、続いて生じている原発事故についてあれこれ思ったり、被災者はもとより東北沿岸の被災地の現場に残っている医療従事者の、果てしない労苦を毎日想っている。

大学でお世話になり、南相馬市で開業された知人の医師の安否をめぐっては、一時は自らの心臓がとまるほどの日を。そして10年前に事故で亡くなった友人の写真家の関美比古さんのことを。彼は95年の地震後、「神戸市街地定点撮影」をのこした。

自分の身の丈にあった仕事を、いつも通り続けているのではあるが、 一方では尊敬していた人がもはやどうにも信じられなくなったり、私個人のこれまでをどこかで回想していたりして、きっとくだらないことなのだが、避けられなかった自慰的なことどもについても、頭のどこかでさめざめと考えざるをえなかった。

日々はあまりにも遅く過ぎていき、桜の開花や付近の草花の芽生えとともに、脳裏で生じていたある種の混乱から目覚めてみると、これまで考えもしなかったような人々のことが、ひどく身近に感じられるようになっていた。

昨日今日と犬山祭で、懐かしい人間くさい賑わいを感じて、冷たい春風に 遅咲きではあるがもう無数にみえてくる花びらが 少し散って沁みる風情、山車からのかけ声やあわせ声を聴いて、少しは言葉が出てくるようになったように思った。

道元の言葉を借りるなら「花開いて世界起こる(正法眼蔵/梅花)」ということをいま思っている。同じく「縁起」ということを思うと同時に、答えのみえない問いを私もこれからまた生き続けなくてはならないのだと、いま切に思っている。