犬山 inuyama(15)2009
心のなか あるいは外側のきっかけに呼応して ある思いのようなものを音の形にしていくためには 少し離れた場所から何かの動きを観ることのできる空間があればよほどいいと思い 空間を横切る微小な変化を体感するために 少しだけみえるように細い枝をした苗木 影の庭にその苗を植えて雨風に揺られる苗の枝の内側のふるえる寒さや 風になびく紅葉した葉の動きその風の呼吸とのずれを感じながら 部屋のなかで直立し少ししなっている不動の竹とともにある 倒された木の年月 竹林にさしこむ隙間の夕陽を竹は何度感じてみてきたのか こうしたような一つの観想を言葉にせずに身体のどこかに溜めておくようにあいまいに言葉に漂わせる 言葉は音楽を引き寄せるためにあるのではなく 音を言葉で制限しつつ浮かび上がらせるためにあるのではなく 外側にあるものに動かされて何かに向かう内側の意思の変化を自覚するためにありメモにすぎないのだが 言葉が私という殻の内側から外へ出ていって外の音をつれてくるように働けば 何か生産的な音の連なりや気づきが生まれるのではないだろうかと ほのかな期待をよせながら今日は気の向くまま書いている それは目新しいものでなくとも どのような道筋を通ってやってきたものであるか体現された音の形であれば開かれて 形がまた音をよんでいくだろうと想像しながら 言葉は読まれ音は読まれずに 楽器をさわる手の経験上の感触とともにどこかから聴こえてきて それらは相互に作用し合っているのだが 実際弾かれた音の耳ざわりはそれ以上の予測できない形をまた導くようにあって 形を内側から洗練させなければ形は風化して幹はくずれてしまうが 音は外側にある 洗練が音によって予期できない変貌となり 形自体が時間に溶解することによって一度忘れ去られ 離脱しては脱皮しちがう匂いにおいて反復されていく 自然を自然としてみるのではなく じねんそのものを感ずるというよりも 自然やじねんの観念からの離脱を促すように 言葉を音の変化のようにとぎれとぎれて連ねていくのも またおもしろいが 今日は合間合間思い起こすたびに ただあの倒された多数の木々が痛々しくて 怒りに身を震わせながら 罪深い人間を代表して霊をなぐさめていた といえば笑われるかもしれないが おととい拾ってきた風に倒れた竹に象徴化させ これから彼らの霊魂を音の形にしてゆかなければ 彼らも人間も浮かばれないと本気で思っているようだ 思えば 今日の書き始めはそのような思いからだった