出雲崎 izumozaki(3)2010
子供の子守唄をコントラバスで真似してとてもゆっくり弾いてみると
とんでもない哀しさがしまいには漂ってきた
明るい旋律なのにたとえば古いイギリス民謡などは
どうしてこんなにしみじみするのだろう
伝えられてきた歌の強さなんだろうか
作為なく少し感情を抑制して音の奴隷のようになって導かれながらも
子供の視点のようなぼけていて一点だけは鮮やかな色の視点を感じながら
音の状態を大事にしながら弾いてみると
常識的な世界にぽつりと開いている入り口
その穴のなかに入ってしまうこともある
先日大阪に中平卓馬さんの写真展をやっとのことでみにいったらそんな感じだった
その影響かわからないけれど
ずっと即興でひいたあとに子守唄の旋律になったのだった
その旋律のずれと繰り返しのなかに音がやんだとき
風に木が揺らぐ音がこれほどの密度の濃いものであったとは全く驚きだった
これまでにないような確かでそれにさわれるような
ざわめきと静けさのなかに満たされた
心と身体の満たされたところ
静寂に喜びが芽生えだす
春に草が芽を出す喜びと似ている
歌という哀しみと喜びはそんなところにあるのだろうか
さっきかけていたヴィラ・ロボスをじっと聴いたあとの静けさはこんな感じかもしれない
複雑で深くて透明な感情のなかに入ることができる
それで今日は書こうと思ったのだった
言葉はいつも過去形だが言葉のなかにも
沈黙のなかにも未来はある
言葉のこれまで歩まなかった道があるだろうと思う
原点にかえっていけばそこから
必ず違う風景がいつもみえてくる
元の道を戻らずともそこから違う道へそれて
違う道をすすんでいくということの大きな意味は
意図せずに迷路の中に迷い込んだような経験
迷ってもいったん出てみれば身体の響きが変わっているような経験のなかにある
そこにあるような確からしさのなかにいて
固まった技術やイメージ、理論に溺れていても先がない
人間もまた生き物なのだから
古くさそうな場所からいつも新らしい世界はやってくる
それがよいものなら
古い技術も人間がそれをまた使っていくことのなかに新たな面がみえだす
今日の診療もそう、ベースを弾いてもそう、いつもそうだ
確かなものはみえないけれど原始的なところにある
朝が開けて
薄曇りの光とうぐいすの豊穣な声で目覚める
一羽だけほんとうにすごい声のうぐいすがいる
他のうぐいすの声があの豊穣さによってより引き立つ
いまはたまたまかかったジョン・ケージのバイオリンを聴いてみている
昨晩はギターを聴いていたので共通項と差異がよく聴き取れる
これが本当にジョンケージなのか
うぐいすのあの声と比べてしまうがすばらしいの一言
こんな演奏がもし即興でできたらどんなに素晴らしくうれしいだろう
最近は忙しく本当にとりとめもないが何かをときどき書き留めておきたい
夜中に書いたものを少し削って書き足した