甲州 koshu (10), 2008

shapeimage_1-212

今日は、三絃奏者の故・高田和子さんのことを、私がここに書かせていただくことを高田さんにお許しいただければと思いながら、思い切るように書き始めたいと思います。

コントラバス奏者の斎藤徹さんの今日のブログに、昨日7月18日に一周忌を迎えられた三絃奏者の高田和子さんの一周忌のお墓参りのことが記されている。いつだったか斎藤さんの小さなライブに妻と行ったとき、高田さんも客席におみえになっていて、本当に一度だけ、お会いしたことがあった。そのとき光栄にも斎藤さんからご紹介をいただき、ご本人とお話しさせていただいた。 その後、高田さんの演奏はお聴きすることがなかったが、 そのときのその和服のお姿とその声、お話のされ方は強い印象をもって私の心に刻まれた。

昨年夏に高田さんはおなくなりになられた。私は高田さんがなくなられた病院と同じ病院にたまたま、週に一回勤務していたのだが、いろいろな思いが錯綜し、多忙であることを理由に、お見舞いすら行くことができないままだった。昨年、その後、高田和子さんを偲ぶ音楽会が渋谷であり(斎藤さんや高橋悠治さん、その他、高田さんときっとゆかりのある方々が演奏された)、一度お会いしお話しさせていただいた時の強い印象をもちながらも、私の勇気のなさからお見舞いにすら伺うことができなかった悔恨を持ち続けていたこともあって、一緒に時を過ごしたいと妻と二人で聴衆として参加させていただいた。そのとき最後に高田さんの演奏を撮影したフィルムが上映された。そのときはじめて、高田さんの演奏されている姿と、私は対面させていただいた。高田さんの演奏の真摯さと説得力は本当にすさまじいもので、言葉をそしてまぎれもなく時空を超えていた。今でも言葉がほとんど見当たらない。私はこの演奏会で本当に心から教えられた。何を教えられたかといえば、「生き切るとはいかなることか」ということだろうと思う。

昨年、私は久しぶりに写真展とコントラバス演奏を行った。斎藤さんにこれ以上ないというくらいの多くの有意義なアドバイスを頂いた。波はあったが日に日に私なりに演奏がよくなっていった。今にしてみると、その影に、さらに高田和子さんのあのフィルムの影が身体にしみ込む過程を踏んでいたのだと思う。

昨日は高田さんの一周忌と知り、私は偶然にもその日に妻との結婚10周年を迎えた。家の近くのバーで夜中の4時までいた。店主は最後に10年経った最高のワインをおごってくださり、もてなしてくださった。そのきっかけがスペインの作曲家モンポウだった。最後になにもリクエストした訳ではないのだが、店主はモンポウの演奏によるモンポウをかけた。斎藤さんが高橋悠治さんのモンポウ集が染みる日だったとお書きになっていたが、偶然なのだろうか。命日と日が重なったことも偶然と思わずともよい。これまでのことが様々によみがえる。そしてそのとき、ふとモンポウについて書いている哲学者のジャンケレヴィッチが思い起こされた。私はジャンケレヴィッチの「死とはなにか」という本をよく読んできた。最近もまたひも解いていた。死を考えおかずして、一人の他者の死に向かい合う心の準備ができないからだろう。眼の前の他者の死への過程は私の内心を動揺させる。だからこそ考えなければならない。会うということは大事なのだ。だが思いが充満しすぎて会えないこともあると自分を慰める以外にない。そのバーでのモンポウの音楽は、 高田さんのことを思い起こさせた。今年私たちはスペインに行く。

たった一度だけお会いした私にとっての高田さんだが、どなたかに叱られることを恐れずに書けば、今、高田さんの音とお姿は私のなかに生きているとさえ感じることがある。高田さんという一人の演奏者を通じて私のなかに生じた出来事、それこそが音楽なのだろうと、そのように今、思う。その出来事はあまりにも、思えば思うほどにあまりにも広く深く私を豊かにさせる。

人間の生と死の音と音楽がのりうつって聴こえてくる、本当に何ということだろう。


何となく寝付けずに、上のことを書かせていただいた次の日(7/20)の朝、高橋悠治さんのモンポウの録音を再び聴いた。手元にある高田さんを偲ぶ演奏会でいただいたCD「鳥も使いか」を次に私が聴くことができる、そして聴かなければならない日はいつになるだろうか。決して予測できない時間とともにある未来を大事に今を生きなければならない。