sevilla (8), spain 2008
ほとんど「音楽」を聴かなくなった
CDの音楽をたまに聴くと
以前より耳の感受性が非常に厳しくなっている
良い演奏は息づかいまで手に取るようにわかるし
作曲家と演奏家の個の領域から外れた部分に神経が集中する
楽器演奏もこの手が本当に動きだすときを待っているだけで
少しだけ触って手入れをする日々が続く
音はあえてあまり出さない
音を出さないことが楽器に良くないという
ある種の強迫観念もやっとなくなった
楽器からの音の匂いを感じていれば
少しの手入れで最大限の音の保持ができる
このことが常に新たな音の発見をするために重要なのだ
今までの技術の保持ができるか否かは全く問題とならない
学んだことの本質は身体に宿している
技術の保持という目的意識はかえって
音楽的創造を邪魔する
なぜ音楽を必要としているのか
この衝動の在処を知ることからすべては始まる
それは言葉で表現することはできない
言葉で表現したらどこか外れる
外れた部分こそ音楽的領域であって
逆説としての音楽が要るのだ
その大本に立ち返れば音など容易に出せなくなる
当たり前だが言葉で表現しうる音楽は音楽ではない
楽器は自然と交感する直接的手段であって
結果としての音楽は言葉を本質的に逸脱する
その逸脱と過剰こそ音楽独自の力だ
それがなければ楽器など不要なのであり
自慰的言葉の羅列をしていればよい
音楽は人間の自然宿命である言葉に密接に関わりつつも
そうであるがゆえに必然的に言葉の領域をはみ出す
いわば言葉の絶対的逆説であり逆光である
言葉に潜む闇が照らし返す自然的力動であって
本質的で身体的な「感動」である
音楽において呼吸が大事なのは
人間にとっての呼吸が言葉と意思と自然生命
そのすべてに関わる中枢に位置するからである
音楽は肺の機能が未発達な母の胎内ではなしえない
そこには聴覚があるのみだ
生の底に宿り聴覚の先見性と受動性をもって生まれてくる胎児
付与された音から自発呼吸へと連なる転機
誕生の奇跡、誕生の神秘から音楽が始まる
人間という宿命を背負い成長とともに失われた
奇跡的覚醒を再び今に呼ぶこと
音楽はその意味において死よりむしろ生に密着しているのだ
死者のための音楽
それもまた呼吸が停止したものたちへの
語れぬ生の息吹なのである
生きなければならない
経験し得ぬ死へ向かって
音楽とともに
今、一つの予感としてあるのは
休みの晴れた日の昼間に木曽川沿いに楽器をもっていくだろうこと
まずは軽いいわば不得手なビオラ・ダ・ガンバをもって精神的負担をゼロにし
意識のゼロポイントを呼び込みやすくすること
自然の風になびかせること
自然の聴こえぬ倍音をこの身に浸透させるために
鶯の微妙な声の変化を毎日聴く
そうすることで代え難い聴覚の柔軟性を得ることができる
それは耳の相対性ではない
耳の絶対性であるだろう
自然の声と自己の内部自然を
ある種の絶対性をもって対比させること
鶯の鳴き声が言葉の意味なき意思
生の呼び声すなわち音楽として
耳に響いてくるまで