granada(2), spain 2008
記憶は深い時の眠りだ
記憶は意識でもなく無意識でもなく両者より奥にあって
記憶は音でもなく写真でもなく両者より前後にあるが
記憶は意識と無意識そして音と写真に寄り添うようにある
記憶はイメージでもなく夢でもなく両者より時間的で
記憶は海馬でもなくヒトでもなく両者より非生物的であるが
記憶は生物時間に寄り添うようにある
身体に依拠した記憶があって心に依拠した記憶がある
記憶に依拠した心と身体があって記憶は心と身体の臍の緒となる
記憶は命そのものでもなく死そのものでもなく
記憶は
存在から非存在への
非存在から存在への
架け橋である
記憶は存在と非存在のあいだに溜まった
時間の眠りからやってくる
記憶は非存在からの音と光景のない呼び声である
記憶そのものは音や写真によってあらわすことはできない
記憶はじっとしてあるが記憶を何かであらわそうとしたとき既にそれは記憶ではない
音そのものは音の記憶とは異なるが
記憶そのものは音であらわすことができない
音の記憶によって次の音が導かれるのではなく
記憶そのもののうごめきのなかに音なき呼び声を感じる
その結晶が音と化すのだ
だがその音はもはや記憶そのものではなく
その音を音として聴くことが
記憶への愛となる
記憶を探るように表現するのではなく
記憶に寄り添うイメージないし記憶の夢を音とし写真とするのではなく
記憶の眠りそのものの結晶が音となり写真となる
記憶の結晶はいわば記憶なき記憶からしか真にうまれ得ないのだ
記憶は意思によって愛がそれに介在するような
一つの倫理性を帯びている
身体とはどこか違う場所からやってくるようで
心とはどこか違う場所からやってくるようだが
記憶の呼び声の木霊を心と身体のなかに感じることだけが
許されているように
記憶はある
記憶はそのような場所で
連鎖し点滅し消滅してはまた眠りから醒め
微かに異なる様態を帯びてあらわれる
記憶は哀しみ喜びを死へと誘い
心と身体を微かにゆるがし
死から次なる命が宿るその場所で
別なる心と身体へと受け継がれる
時の眠り